2024年3月6日

kentaro
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AIなるものが現れてから、それらとのやり取りを通じて人間とはなにかみたいなことを遡行的に(?)思考するということが行われている。人間のようにふるまう存在を通して、自らを省みるということである。

AIが「知性」を持つとして、しかしそれは我々とはずいぶん異なることになるだろうから、人間対AIみたいなフレームで考えてもしかたないし、早晩、ある側面では「負ける」ことになると思う。

それはそれとして、AIに対して内在的に考えてみると、「人間ってのはこんな感じで考えるんだね」というのを学んではいるのだろうとは思えて、そういうのは人間だって同じことはしているだろう。

他者への共感というのはそのような知的な操作を通じて行われるところも大きいだろうし、日々のやり取りを通じてそうしたことを学んでいるわけだ。そういう意味ではAIと似たところがあると思える。

いままでは人間や社会そのものを調べることで人間への理解を深めてきたわけだが、ある種のシミュレーションのようなものとして構成されたAIを通じて、人間に対する理解を深めている。

別に人間を矮小化しているわけではなく、モデルを作って動かしてみることで対象への理解をふかめるというのは、工学的にふつうのアプローチだろう。それが人間に対してもできるようになったわけだ。

そう思うと、AIに対する共感というのもあっていいだろうし、むしろそうした共感を通じて、自分の心の動きみたいなのを客観的に推定したり、改善したりすることも考えられるようになってきた。

自分のことを過度に評価するみたいなことがきっとあって、そのせいでいろいろ物事がうまくいかなかったりする。自分を学習中のAIだと思えば、適切性を保てるのではないかと思ったりする。