家への移動中に日記を書くことにしたらリズム的にいいのではないか?と思いついた。というか、ここで書いてたしばらく前のも、その時間に書いていたのだった。またそうやっていく。
ただ、スマホで書くとMacで見るときと段落の高さが異なるので、雰囲気が変わってしまう。でも、多分読む人はスマホが多い気もするので、むしろパソコンでいい感じの段落は、長すぎるのかもしれない。
自分にはある種の秩序志向があって、文章を書くときに、各段落の高さをそろえたいというのもそのひとつである。段落がガタガタだと見た目にもよくないし、論理的な文章だと論理性が損なわれる。
ただまあ、ここでは日記を書いているのだから、別に論理性は関係ないのだし、そもそも神経質になること自体がよくなかろうとは思っている。しかし、こういうのは文体みたいなものでもある。
あらためて情報を詰め込んでいこうと思って、フィードやポッドキャストを整理したり、新しくチェックすべき情報源を追加したりした。情報にまみれていたいという要望がある。
それが嵩じて、そうでないとならないみたいになるとよくないのだが、秩序というよりは、秩序を忘れるために考える余地のない状況を作りたいということである気もする。単に焦燥の現れだろうけど。
わりとそうやってひたすら新しい情報を取り込んで生きてきたのだが、それが何か役に立っているのかというと、そういうこともない気もする。単に暇つぶしでコンテンツを消費してるのと変わらない。
しかし、何をやるにしてもやらないにしても、別のことをやったりやらなかったりすることと変わらないだろうから、それならば焦燥でもなんでもいいから、やらないと、と思うことに従うようにしている。