2024年3月1日

kentaro
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翌日に書いている。3月に入ったらある個人的なプロジェクト、と書くともったいぶった感じだが、身体を改善することをちゃんと始めようと思っていたのに、そもそも3月に入ったことに気づけなかった。

ああしたい、こうしたい、と思いつつできずにいるうちに時間だけが過ぎていく。ふとふりかえると、それが数十年ごしなんてこともざらにある。身体についても、20年ぐらい思っていることである。

もちろん、その一方でできていることもあるわけで、できていないことばかりに目を向けるのは改善すべきバイアスだろう。まあ別に、できてないことをそこまで問題視してるわけではないけど。

◯年前から戻ってきたいまがその最初なのだからがんばれ、みたいな話がある。一方で、何度人生をやり直しても、多分たいていのことは同じ結果におわるだろう。何度やり直しても、水は低きに流れる。

だから、本当に結果を変えたいのならば、前提条件や、問題の構造そのものにアプローチする必要がある。あるいは、そもそも見えていないなにかしらの要素に気づけなければならないのかもしれない。

しかし、それはかなり面倒なことだし、その面倒を上回るほどの快があるわけでもないから、実現されない。そして実際、別に実現しなくたって問題ないようなことがほとんどだろう。