サークルをやめた。これで二回目。しずかに呼吸をする。19歳の自分からの手紙を読んだ(これは中学の頃から続けている習慣で、私は誕生日を迎えるたびに来年の自分に宛てて手紙を書いている)。友達がいないこと、バイトの面接に落ちたこと、サークルにイラストを持っていったことが書いてあった。イラストに対するコメントがルーズリーフに色んな筆跡で書いてあって、私はそれを帰り道の街灯の光で読みながら照れくさくなって折りたたんだのだった。その日の足取りを思い出す。あたたかいコメントをくれる人々ばかりだったのに、創作という行為にどこか恥ずかしさを覚えて、サークルの集まりに二回だけ参加してからLINEグループを抜けた。その次に入ったサークルを、今日やめた。ぷつりと糸が切れる音がしたような、しないような
結局わたしは、他人に私という存在を認めてほしい気持ちと、誰にもそばに近寄らないでほしい気持ちの、矛盾のかたまりを両脇に抱えたまま突っ立っていた。他者との関係を構築する友人たちや知らない他人を遠巻きに眺め、そうして自分は足元の砂を弄り回している。自分を自分で認めたいと思った。すべては自分の判断によるもので、世界の映り方は自分次第だから。他者に振り回されたくない。確固たる自己を揺るがせたくない。それなのにどこかで他者から受けるなにかを、その社会性を伴ったゆらぎを諦めきれないでいる、そのいやらしさに嫌悪する。まんじゅうを二つたべ、あんこの甘さで有耶無耶にしようとしたが、ただ気持ち悪くなっただけだった。人間は一年じゃ何も変わらなかった。おそらくこれからも。