唐突に話すけども。
とある信頼できる人との1on1があって、僕が持ってる小さな小さな、手に刺さったトゲのような気持ちを自己開示したときに「がんばった」でなく「よく耐えた」と表現してくれた人がいて、それがなぜか無性に嬉しかった。
べつに僕は「がんばった」わけじゃなく、もっと、別の感情を持っていると思っていたが、つい最近までその気持ちをうまく言語化できていなかった。ようやく適切な言葉を見つけられたのかもしれないという、このスッキリした気持ちと、自分でさえ言語化できない感情を、他人に見つけてもらったこの気持ちをなんと言うんだろう。京極夏彦の作品のように「憑き物が落ちた」という表現がふさわしいのだろうか。
人を励ましたり、理解しようとしたとき、なんとなくわからないけどとりあえず動き出す際など...繊細な感情や気持ちをひとつの言葉に丸めることはよくある、そうするほうが簡単だし楽だから。
しかし、感情は簡単な言葉で片付けられないことが多いし、そこで使う「言葉」は捉えられ方によっては人を迷わす。「言葉」の偉大さを噛みしめると共に、「言葉」は大事に使わないといけないなぁと思った。