自分の情熱というものが持続しない感覚がある。ときめきを消費している。
以前自分には何年も足を止めて、何万、何十万文字の小説を書いたジャンルがあった。もう十年以上前の話だ。その時の情熱と感覚の残滓を引きずりながら今もまだ「オタク」をやっている。
当時のほうが時間もお金もなかったのによくやったものだ(体力は今よりあったかもしれない)好き勝手なことをしていたし、今当時の自分が書いたものを見返すとよく怒られなかったなと思うし、恥ずかしくてたまらないのだが、私はずっと「こうなりたくて」何か新しい心ときめくものを探し続けている気がする。
何かに心を動かされることはもちろんある。たくさんある。心をぐちゃぐちゃにされたくてオタクをやっているし、軟弱かつ製作者の思うつぼにはまりやすいタイプの心なので、ほいほい罠に引っかかっては心をぐちゃぐちゃにしている。ちょろい。私の心はちょろい。
ただその時の熱情、衝動が持続しない。一瞬燃え上がって鎮火する、ということを繰り返している気がする。燃え続けないと書き続けられない。それがもどかしい。私は書き続けたいし熱狂の中にいつもいたい。今の私は自分の熱情が信じられないので、何かに足を取られてもそこで一度立ち止まってしまう。一か月後も、この熱は持続しているだろうか、と思ってしまう。
「熱」なのだから冷めるのも当たり前なのだが私は冷めたくない(燃やし続けるには燃料が必要だが、燃料を調達するにも別のエネルギーが必要である)それでも冷めてしまうのは、そもそも、熱狂の状態は平常ではないので、心は無意識に平常に戻ろうとするからなのだろう。自分が冷めたくないと思っていても外から冷や水をぶっかけられたりもするし。
ああ、でも私は作品に対して熱狂したいのではなく、熱狂を得たいがために作品を消費しているのではないだろうか、と最近思うのだ。それはなんというかすごく嫌だ。不誠実だ。
もう少し、ずっと、ここにいたい。気を狂わせてなければこの現実に立ち向かえない。