20260309

kicho_0x0
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公開:2026/3/9

舞台 刀剣乱舞 陽伝の大まかな日程とキャストが発表された。

もともとその題名は示されていたとはいえ、新作が発表されるたびに「で、陽伝は?」と言われる程度には『存在は確認されているが、一向に上演情報が出てこない作品』であったので、昨日の解禁以後もうTLが祭りである。私も一緒に踊ってはいるのだが、それはそれとして八年。八年だ。

あの本丸から三日月宗近がいなくなり、私の心に生傷のこしたまま、八年。

なげえよ。舞台刀剣乱舞十周年でここへの到達を八年待ってた、ってFGOか。

休止期間が長かったFGOと違って、刀ステはそれなりに真面目に追っていたコンテンツなので、感慨もひとしおである。絶対に行きたい。他の何を置いてでも行きたい。今年他の舞台やイベントのチケット1枚も取れなくて構わないから、これだけ行かせてくれ。

舞台刀剣乱舞はあきらかな「続きもの」として作成されている。

話はひとつひとつ独立しているが、時事系列が明確に存在し、公式でもその並びを確認することができる。

中央に一本の太い芯があり、それを取り巻くそれぞれの物語が各公演、という構成で、ある意味でのオムニバス作品ともいえるだろう。

舞台といういつ打ち切られてもおかしくないコンテンツで十年かけて続き物(しかも長編)をしているのはやばい。原作ストーリーがある作品ならともかく、舞台の物語自体は完全にオリジナル脚本なのだ。やばい。いろんな意味で。

シリーズも長いのでとっつきにくいというか、途中から入るのをためらう人もいる気がするのだが、週刊雑誌に掲載されている漫画を途中から読んだけど面白かった、みたいなことがあるように、合う人は途中からでも楽しめると思うので、とりあえず気になるところから触れてみてほしい。初手悲伝だけは避けたほうがいいんじゃないかなとは思うけれど、気になったのならそこからでもいいと思う。

そう悲伝。悲伝である。

この十年、刀剣乱舞もそれ以外も、いろいろ舞台を見たけれど『抜けない棘になってる作品ベスト3』に確実に入る作品の悲伝である。

『人におすすめしづらく、気合を入れないと見られないが、とても好きな作品BEST3』にも入る。全部が美しくて全部がつらい。

当時、私は三日月宗近が嫌いだった。

と言ってもそれは『三日月宗近』というキャラクターには一切罪がない、どうしようもない部分で『嫌な目にあった』という言いがかりというか、本人も困惑するだろ、という理由からだったのだけど、ともかく、自分は一度嫌いになったものがひっくり返って好きに転じることがほぼない。

一度『嫌』と思ったら、坊主袈裟理論ですべてが『嫌』に繋がる情報になってしまうからだ。

けれど、三日月宗近はこれをひっくり返した。正確に言うと舞台の三日月宗近にひっくり返された。

初日にライブビューイングで悲伝を見たとき、何が起こっているのか整理できないまま、ただ呆然としていた。

舞台の三日月宗近というキャラクターに初めてまともに向き合って、彼の抱えていたものを何一つ見ようとせず、理解しようともしなかった己に気づいて、溢れてくるのは『もっと優しくすればよかった』という後悔で(おかしな話だ。私は完全な部外者なのに)それはフィクションとするにはあまりに生々しい、当たり前にずっといるものだと思っていたひとをなくしたような喪失感だった。

(おそらくだけど、これは舞台の山姥切が抱えた感情と近しいのではないかと思っている。気付いたときには何もかも遅すぎた)

これは脚本の力もあるし、演じている鈴木拡樹さんの力もとても大きい。底知れなさ、強さ、悲しさ、怖さ、全部を混ぜ込んだ複雑で美しい三日月宗近。その最奥には『優しさ』と『願い』があるのだと感じさせてくれる三日月宗近。

この人でなければ『嫌い』からひっくり返らなかっただろうし、八年間も生傷抱える羽目にもならなかっただろう。でもこの痛みも私が三日月宗近から受け取った私だけのものだからね。誰にも渡さないからね。

千穐楽をライブビューイングで見た時のことを今でも鮮明に覚えている。

クライマックスで『ルートが変わった』瞬間に、全身が総毛立った。動悸と緊張で『このままだと失神する』と思った舞台なんて、後にも先にもこれだけだ。

予告なく舞台の内容を千穐楽だけ変えるなんて、と当時はいろいろ言われていたし、その理屈もわかるけれど、私は変えてくれてありがとうと思うし、あの瞬間に立ち合えて本当によかったと思う。

あれがあったから『鑑賞』ではなく『体験』になったのだ。

「変わるはずがない筋書き」「ほぼ同じことの繰り返し」と思っていたものが、大きく変わった。「物語が変わる」という衝撃は三日月がその時感じた衝撃と程度の差はあれど本質的に同じだろう。第四の壁をその時私は飛び越えていたのだ。

私は油断して諦めていた。きっと今日も何も変わらないだろうと思っていた(だってそれが普通の『舞台』だし)

でも変わった。変わることがあるのだと知った。ということは、この『運命』も変わるかもしれない。

それは見方によってはひどく残酷だ。パンドラの箱の中に希望だけが残ったから、ひとはどんなに精神が擦り切れようが、足から血を流そうが、荒野を進むことを止められない。もしかして、と思うことをやめられない。諦めたほうがよほど楽なのに。

でも私はもしかして、と思ってしまったし、三日月もきっとそうだ。どうせ行くしかないなら、希望があったほうがいい。いつか来る(かもしれない)夜明けを目指すほうがいい。

そう思いながら気づけば八年経っていた。八年て。

運営は八年続けられると思っていたのか?????と思うし、私は八年生傷引きずってんのか??????とも思う。どっちもやばい。

舞台は体験だ。いかにして『我が事』にするかだ。だから絶対にライブビューイング<現地である。

そんな風に思っていたし、大枠では今もそうなのだけど、悲伝に関しては現地で観劇した印象よりも、ライブビューイングのほうが印象に残っている。あれはたしかに体験だったし、物語の力が強いとそういうことも起こり得るのだと知った。

陽伝がどんな話になるかわからないけれど、報われるといいなと思う。

助けてを言えない孤独なひとが、救われればいいなと思う。

@kicho_0x0
散文です。