私は人生の半分以上を腐女子として生きているのだけど、素敵だと思う作品に触れた時の感情をすべて「推しCP(カップリングの意)見たい・書きたい」という方向に誤認しているのでは? という気がしてきた。なんでもかんでもCPで考えるいわゆる腐女子脳というやつだ。そんなことはない、と思っていた(実際そのスイッチが入らない好きな作品もある)のだが、入りは一時的な誤認……というか「CPにするならなんだろう」と無意識には考えている気がする。怖い。
年末にわっと頭がいっぱいになった作品は、とりあえずまずCPを考えたのだが、そもそも私この二人の恋愛ごとをみたいわけではないんだなといろいろ経て気づいた。めちゃくちゃ愛妻家だが人に対してドライなキャラクターが「かわいい」「泣き上戸」という側面だけピックアップされて、変質していく様を目の当たりにしてちょっと我に返ったところはある。逆に相手は「子煩悩な良い父親」「バブみの対象」みたいな進化を遂げていて、ネット上にはもはやほぼ幻覚だけで構成された二人しかいない。自分も幻覚でものを書いているので人のことは言えないが。巨大なブーメランが後頭部に刺さる発言をしたことを陳謝します。
まあそれはそれとして、多分、私の見たいものって最終的には「恋愛でもいいし、そうでなくてもいい」に落ち着くのだと思う。「どういう感情であれ、二人でいてくれればそれでいい」というか。それが憎悪でないほうがまあ、嬉しいけど。
恋っていうのはとてもわかりやすくて強い感情だから、つい「お手軽」にそっち方向で考えてしまうけど、人と人との感情はそんなに「お手軽」なものではない。マーブル模様のように混ざり合っているものだと思う。なんでもかんでも無意識にCPに結びつけて考えたくないな。根っから腐女子ゆえにすぐにそういう入り方をしてしまうけど。