最近のはなし。
今部屋を片付けている。片付け、というか、物を減らしたい。
私は怠惰を絵に描いたような人間なのだが、1月末にいろいろあって、いろいろあったことはまたどこかで書かなきゃなとは思うのだけど、とにかくそれがきっかけで重い腰を上げた。
オタクの部屋は物が多いと相場が決まっている(暴論)
フィギュアやらグッズやら本やらメディアやら、私は『すぐに偶像崇拝したがる』『本当に好きな作品は手元に現物でほしい』タイプの人間ゆえに、気になるジャンルができるとまずアクスタor連れ歩けるサイズの立体物を探しだす傾向がある。結果、アクリルの板が増殖するのだ。ほら、組み立てなきゃ平面だし。
手に入れたら飾る、がモットーなのだが、しかし豪邸に住んでいるわけでもなし、物理的な面積の限界があり、さらにその中でジャンルが混在しているのが好きではないため『なんか気持ち悪いな』と思いつつ過ごしていた。2ジャンルまでならなんとかなるけど3ジャンルは無理だって。
そこで先に述べたいろいろがあり、目を逸らし続けていた『物を減らさないとヤバい』という事実に向き合わざるを得なくなった。
仮にもし今自分に何かあったときに、これを片付けるのはオタクでもなんでもない身内で、『全部捨ててくれ』と言っておいたとしても捨てること自体に労力も気力もお金もかかる。特に今の自宅は賃貸なので、家賃の発生というリミットがあるうえで、片付けてもらわないとならない。業者に頼むにしたってタダではないし、精神的に疲弊した状態で余計な手間を取らせるのはちょっと……という感情である。
物を減らそう。本当に今大好きなものだけ残そう。そういう気持ちで部屋を見渡せばまあ出るわ出るわ『手放してもいい』ものたち。
ブロマイド、アクスタ、缶バッジ、ノリで買った公演グッズ、保存用と言って複数買ったけど使っていないグッズ、買ったけど開封していないあんなグッズこんなグッズ。耳元で『これにいくらかけた?』と囁いてくるもう一人の自分。虚無。虚無である。
思い入れはあるのだ。見れば買った時のことを思い出すし、好きだなと思う。美しいなと思う。しかし見なければ存在すら忘れていたものたちでもある。なんという不毛。ホモサピはおろか。
思うに、グッズというのは手にした瞬間にその役割の9割を終えているのだと思う。
欲しいと思ったものを手に入れた、嬉しい、でほぼ満足してしまうのだ。買ったグッズを毎日触って美術品のように鑑賞して愛用の道具のように使っている人というのは少数派なのではないだろうか。もちろん、愛情行動という点でグッズを買うことには意味があると思う。疲れたときにふと目に入る大好きな作品のグッズ、というのは心の潤いになる。それは間違いない。でもなんていうの? もうちょっと考えて物を買おうか、自分は。
そして、捨てたり譲ったりしているのに、全然物の総量が減っている気がしないのが怖い。多分、譲るということを考えずに処分していくのが一番早いし、もういっそすべて捨てたいという衝動にも駆られている……のだが、好きなものなのでやはり捨てるのは忍びない。探している人がいるならその人のところに行ってほしい、と思う。さらにぬいぐるみとかフィギュアとか、立体物になるとアニミズム的感覚が頭をもたげ『捨てるのはかわいそう』という感情が働いてしまい遅々として進まない。手間に対してのメリットが釣り合わないので中古ショップに投げ売るのも嫌だ。愛しているから苦しいし、執着や欲を捨てればもっと楽なのだろう。凡夫には遠すぎる境地だ。というかそれができるなら最初からオタクなんぞやっていない。
しかも魔窟と化しているクローゼットや、前々から片付けて整理しなきゃなと思っていた水回りにはまだ一切手を付けていないのだ。グッズもだけど服も捨てられないんだよなあ……『着る機会ほぼないけど大好きで手元に置いておきたい服』が厄介すぎる。
先が長すぎて眩暈がするが、『厳選したグッズを、定期的に模様替えして飾るすっきりした部屋』を目標に、挫折しないように頑張ろう……と思う。
様子のおかしいインテリア店さんお世話になっています。実践できるテクニックとか理論とかわかりやすくて助かります。でもまだ物を減らす段階だからね……
そしてグッズは無駄ではないが気軽に買わないほうがいい。持ってもいい総量を定めておいて、そこからあふれるなら何かと入れ替える。一度買ったら手放しがたくなるのだから、買うのなら相応の『覚悟』をもって買うべきだ。
でも今偽典ソロモンのぬいとかアクスタ出るよって言われたら多分買います。手放す……何か手放すから……許して……