私たちの生活の中でAIを避けて通ることは難しくなってきました。
ブラウザで検索をすればAIが回答し、Photoshopでは画像加工の端々でAIのサポートが入り、プログラムなどはAIが替わりにコードを書いてくれます。
便利か不便かで行ったら当然便利なのですけれど、AIだけが出力の主体になると途端に駄目になるなあと本日現在(2026年1月18日)では思っています。
あくまで「オレ with AI」が大切なんじゃないかなと。
その理由をつらつらと書いていきます。
その知識、体系的ですか
現在のAI、Howtoは得意だと思うんですよ。「こんなことしたいんだけど」と問えば「AしてBしてCするとできますよ」と答えが返ってくる。
もちろんAIはハルシネーションがあるので回答の精査が必要なのは当然として、その回答が正しかったとしてもそのバックグラウンドにある思想や経験は一切"私"に還元されない。ここが問題だと思うんですね。
つまり場当たり的で即物的な返答は得られるけれど、体系的な知識がフィードバックされない。
ここでGrokに「体系的な知識」とはなんでしょうか。分かりやすく説明してください。と聞いてみました。回答は以下のとおりです。
リンクを飛んで頂ければわかりますが長いですね。要約も頼んでみました。
体系的な知識とは、 バラバラの情報を「全体の枠組み・つながり・順序」がわかるように整理された、地図のような使える知識のことです。
断片的知識が「点」なら、体系的な知識は「点が線になり、面になって完成した絵」であり、 新しいことを学んだときも「ここに位置するものだ」とすぐ理解でき、応用・記憶・説明が格段にしやすくなります。
この質問をAIに聞くのは少々露悪的ですが、それはさておきAIの回答は体系的な知識となりえるでしょうか。僕はそうは思いません。
まさにGrokの言うところの「点」もしくは「断片的な手順の羅列」に思えるのです。
これなんかに似てるな
AIの回答を見ていると思い出すのが初めて「パッケージ管理システムで依存関係のあるソフトウェアが大量にインストールされた瞬間のあの怖さ」です。
`$ port install`コマンドを叩いたときの「文字が大量に出てきた!ウィルスに感染したのか!!」みたいな。
自分がコントロールできないモノに対する生理的な拒否感というか、不可逆的なテクノロジーの暴力性というか。
非常に便利な半面、AIの周辺には上手く言葉にできないなんか嫌な予感がうっすらと漂っているのです。
AIに教えてもらったこと、むっちゃ忘れる
体験が伴わない知識はあっという間に忘れます。本当にびっくりするほど定着しない。
「体系的な知識」に続いてそもそも「知識」とはなんでしょうか。とGrokに聞いてみました。
回答をまとめたものが以下です。
知識 = 「根拠があって本当のことが頭に入って、ちゃんと使えるようになった状態」
これを信じるのであれば、AIの回答はまさに「知識以前の情報の段階」と言えるのではないでしょうか。
よい質問者たれ
これはAI問わず、傾向として良い質問は良い回答を得やすいです。質問のバックグラウンドが整理され、現時点での不明点・判明点が区別され、最終的に欲しい回答が明確化されている。
良い質問とはすでに問題を捉えていると言えます。
そして良い質問ができる状態であればそこに回答としての情報が組み込まれても、ちゃんとした知識になるのではないでしょうか。
まとめ
この暴力的な技術革新の中、正しくあがきたいものですね。頑張っていきましょう。