典型的な他責思考の人数人と話す機会があったので、自分のことも省みて書く。
ここでは他責思考は「生じた物事を自分以外の要因のせいとする」思考パターンのこととする。それによって他人への恨みつらみが生じてネガティブ思考になることは副次的なものとして、ここでは考慮しない。まあ、他責思考の人と話していて一番キツいのはその恨みつらみを聞かされることなんだけど。
他責思考の人に共通していそうな前提として、「自分以外のものに期待をし過ぎていること」と、「その期待が暗黙的なもので、自分でも期待していることに気づいていない」ことがあるように思う。
何回か聞いた文句のパターンに以下のものがあった。
「あいつ絶対○○(話者が共有していないと思われるが重要そうな前提条件)ってこと考えてないよ」
「常識的に考えて○○でしょ」「○○もわからんのかねあいつは」も類型。
自分が重要だと思っていることは相手も知っていて、優先度高く考慮されるべきだと感じていそうな言葉を良く聞いた。
仮にこれが自他境界の薄さからくるものなのだとしたら、「自分が知っていることを相手が知っているとは限らない」「他人の優先順位は自分の優先順位と違う」ということに自覚的になれれば良いと思われる。ただ、話題の相手によっては優先度の違いに自覚的な面が見えるケースもあったので、「全人類が自分とは違う個体であり、なんの情報も共有していない」とまで考えを拡張すれば、人間関係の軋轢を減らせる可能性がある。
また、「他責思考」の反対は「事象をコントロール可能な要因と不能な要因に分離し、コントロール可能な要因の改善に注力する思考」である。「自責思考」という言葉はこれのスーパーセットになっていて、「自罰思考」と呼べそうなものも内包しているように思う。ので、自責思考という言葉はあまり適当ではなさそうだ。事象に寄与する変数を見つける作業なので、「科学的思考」が適当な言葉だろうか。
自分でコントロール可能な要因とは、自分の言動である。他者の言動もコントロール可能かもしれないが、念じれば変わるわけではなく、自分の働きかけで変わるものなので、結局は自分の言動に帰着する。
自分の言動によって物事が改善するかしないかは、事象がもう一度起きるまでわからない。物理や化学とは違って再現実験ができないので、厳密な再現実験は行えない。これも考えに入れておくべきだろう。仕事であれば似たようなパターンは存在するが、人間関係だとなかなか難しそうである。
自分の言動を変えるとして、大抵はほんの少しの変化から始めることになる。というかそれしかできないケースの方が多いだろう。言い方を柔らかくしてみるとか、率先して行動できるように特定のパターンに気をつけるとか。
既存の人間関係だと、コントロール不能な要因として「過去の軋轢」が大きく寄与していることがあり、小さな改善ではこの要因のネガティブな影響を超えることができないケースが多い。そこで無力感を感じると、学習性無気力に陥ることになり、科学的思考を続けることが難しくなる。新しい環境に行くなど、人間関係が刷新されるタイミングで行動を大きく変えることが重要だろう。
自分でコントロールできる要因と不能な要因に分離できると、冷静になれるという嬉しい副作用もある。コントロールできないものはどうやってもコントロールできないので、諦めるしかないのだ。自然災害に悲しみを感じても、怒りをぶつけても仕方ないことはみんなわかっている。地震を呪っても無くならない。
また、コントロールできる度合いも見極められて優先順位をつけられるとなお良い。いがみ合っている相手の行動を変えるような自分の言動の変化は成功させづらい。対して、自分のタスク管理方法を変える方がよっぽど成功の確率は高そうだろう。変えやすいものから変える行動ができてくると、嫌なことを考えづらくなる。人間は作業中は無心になれることが多いのだ。
自分がまた他責思考に陥った時に、このことを思い出せると良い。また、他責思考や自罰思考に悩む誰かの助けになれば望外の喜びである。