問題を切り分けて考える試み。しかし細切れにしても繋がっており、扱いが難しい。
信頼する、しない、できない、ということを考えている。と思う。具体的には、とある友人との関係と、主治医とのこと。ここでは後者を取り上げたい。
主治医、と呼べる存在が数人いると思う。引越しのたびに病院が変わるのでそうなった。メンタル系だけでも、福岡県内に、「私のことを知っていますよね?」と言える相手が数人いる。特にこだわりはなく、できれば女性がいい、くらいなので、増える。
ただ、いつもうまくいっているわけではない。長く通院しているので「うまくいっているんだろう」と捉えられて話が進んでいたりするが(これは前述の友人との会話でもそうだった)、うまくいっているから通うのではなくて、必要があるから通っていて、できるだけうまくやっているだけなのだ。
気にしないようにしたり、帰ってから1人泣いたりもするのだ。
特に最近は、これはどこかで言語化しないと辛すぎる、と思うことが今の主治医との間で起こっている。
端的に言うと「決めつけて感想を言われ、それに傷つけられる」ということだ。
「傷つけられる」はたぶん被害妄想ではなく、実体は確かにあるが私の捉え方の問題でもある。彼女からの「あなたの考え方は薄情だ」というメッセージを私が受け取り、「主治医なのに寄り添ってくれないんだ!」という傷が残った、あの梅雨の終わりに。
傷つけようという意図はなかっただろう、と今は思う。しかし。。。それを言ったら私への攻撃になるのでは?とはいつも思う。今も思う。このことを、誰かに相談したいと思っている。
具体的に言うと、介護の問題で「家族で看るのが一番」派と「老老介護で消耗するのはナンセンス」派で意見が割れた時に問題が起こった。主治医が、家族で看るのが一番だし普通だ、と思っていることを知らないうちに老老介護のフォローの愚痴を言ってしまったため、あちらは専門家でもあるので「あなたたちが何もしなかったからでしょう!」と言われたのだ。愚痴の返しに。
何もしなかった、とは…???
あなたは、私のおばあちゃんや父母のことは、知らないでしょう???
あなたたち、とは、誰のことを言っているのか?
きっと他の仕事で、いろいろな家庭を見てきているんだろうと思う。ぜんぜん介護をしない人、してこなかった人に憤るんだろう。
けれどそれは私のことではなく、私には関係ない。私は今までは、ほとんど話していない。ナイーブな話だからこそ話していない。「あなたたち」とまとめられるようなエピソードは、一つも渡していない。
切り分けをしないのはいい。個人の感想は自由だ。見える事例がぜんぶ「子が薄情」であれば、仕事はしやすいだろうと思う。
しかし私が話すことが求められている場で、私の話への返しが、実体験にしか基づいていない上に私への攻撃であると私が捉えた場合、私はその時からあなたのことを信頼できない。
傷つけられるから。
傷つけられる場では心を開けない。
話したくない。
ということを考えていて、結局は友人との関係に話が舞い戻ってしまう。価値観の違う場面があった時に、友人が発する言葉が二次加害的だと感じることがあるためだ。
「それくらい普通でしょ?」みたいなコメントを私は、スルーすることができない。それらが積み重なり、しかしモヤモヤを解消するほどの強い関係性もなく、今はそんなに友人でもないと思ってしまっているけれど、あの時は本当にありがとうと思っている気持ちは変わっていないよ。
友人、と書くほどの関係性も、既にないのだろうけれど。
例えばカウンセリングという場で始まったものだとしても、その場の成立に金銭が介在していても、人との会話とは、うまくいけば土門蘭『死ぬまで生きる日記』みたいに人を温かく励ますものなのにね。