つい2年前まで同居していた叔母は、湯船に浸かりながら読書するのが好きだった。読んでいたのは大抵が漫画だけれど、イラスト集や教則本、時には小説も例外ではなかった。
私はお風呂で本を読むことにどうしても抵抗がある。とはいえまだ挑戦したことがないから、食わず嫌いと同じと言われればそれまでだけれど…
まず、湿気を含んでしなしなになった本にどことなく哀愁を感じてしまってダメだし、本を湿気でふやかしてしまうこと自体に、物語の世界に自分が介入してしまうという半ば自意識過剰な罪悪感すら感じる。「非日常」に「日常」が侵食していくような。
私は読書という行為の、パリッとしていてどこか高貴な質感の紙を一枚一枚めくっていくときの高揚感、開くことがなければ知ることもない世界をそっと(時にはもはやおそるおそる)空け閉じすることのえも言われぬ特別感にも惚れ込んでいるのかもしれない。そしてそれをお風呂で行うのは、なんだか格調が合わないというか、ジャンクな感じがしてしまう。
そういう意味では、きっと私の生活に読書は完全に馴染みきっていないのだ。
例外が一つだけある。洋書だ。洋書のザラっとしていてハリがある紙をめくる手つきには、どうしても私の日常に溢れる粗雑さが出てしまう。和書が「ぺら、ぺら」なら洋書は「バサッ、バサッ」に近い。和書の静かなしたたかさとは違う、どこか頑固で屈強な感じが洋書にはある。私がお風呂での読書のはじめて(!)を捧げる本は、きっと洋書だと思う。
いま、読みたい洋書がいくつかあって、ぱっと思い浮かぶのはシェイクスピアの『オセロー』(日本語ですら難しい!)と、絵本『がまくんとかえるくん』の原文。どこかのお休みで紀伊国屋に行ってみようかな。