4.20

kinako
·

ここ1週間ほど食欲があまりなかったのだけれど、昨日今日で回復してきたようでほっとしている。

食欲がないとはいえ、食べられないというほどのあれではなく、書いて字の如く「食」への「欲」が湧かない状態が続いていて、「お腹がすいた」「ご飯を食べたい」と思うのが1日のうち夜ご飯の時間帯だけで、他の時間帯の食事は腹に何かを入れないと1日を乗り切れないから、という理由のカロリー摂取行為と化していた、ぐらいのものである。とはいえ、実際朝は入れようにも体内に食物を入れるやる気がなさすぎて入らないので1/3ぐらいだし、昼も多少空腹感は感じるので食べはするが、食べてしばらくすると要らなくなるので1/2ぐらいしか食べていなかったりはしたので、まあ「食欲がない」状態だったのだとおもう。空腹時以外は食物を食べるという気がまったく起こらなかった。

今週前半戦はずっとそんな感じだったので、今日は久しぶりにたくさん歩いたからというのもあるかもしれないけど、昼も夜もそれなりに「お腹すいた!」「何か美味しいものが食べたい!」という気持ちが湧いてきて、久しぶりに食への欲求が復活したようで安心した。こういう時にいつも思うけれど、私はやっぱり別に食のことがきらいではないし、できたら好きでいたいんだなあ。日常的な食事という行為を楽しみにできるほど、食への楽しみはないし、たくさんの種類のものをたくさん食べたい!という幅広い食へのパッションはないのだけど、ご飯はできたら美味しく食べたいし、自分の美味しいと感じられるものを食べたいという気持ちはあるのだ。だから、それをなるべく逃さないで食を楽しむ気持ちをなくさないようにしたい。

別の話。最近、自分のことを着飾りたい、かわいいと思える服を着て自分に似合う化粧をしたい、という気持ちと、自分の自分に対するルッキズムとがたまに(いつもではない)隣合わせになることについて、考えている。

かわいい服を身につけるとテンションが上がるし、その日その時の気分に合った、かつ自分に似合った化粧が仕上がると、「自分を自分でかわいく仕上げることができた」という自信が湧く。それはその気持ち単体としてある。自分のかわいいと思う、魅力的だと思う雑貨を持つように、自分の好みに合った色のカーテンを部屋に選ぶように、私自身という、一番私がともにいる時間が長い対象が私好みになると、すごくしっくりくる。それはそれ単体として純粋にある。

ただ、その反動として、自分が自分にとってものすごく雑な服選びをする時、全然化粧が自分に乗ってない時、私の「こういう印象が好き」と思うイメージに自らの外見をどうも上手く寄せられない時、一時的にすごく自信がなくなる。「今日の私は12点だ……」みたいなしょんぼりとした気持ちになる。私の中身は変わらないのに、中身までしょぼくれてしまう。それに、何だかなぁと思う。私自身が「これが魅力的(美しい)」と思い描く私好みの視覚的美しさがあって、それに自分が沿えていないという自覚があるから、しゅん…となる。

視覚的美しさにこだわりを持ってしまうと、当たり前だけどそうでなかったときの自分を美しくないと感じてしまうわけで、何だかなあといつも思う。外見の出来の良さ(自分の中での)に自分の心が左右されることが、不服というかなんというか。

たとえば脚が長いとか身体が細いとか顔が小さいとか鼻が高いとか一般的な美のイメージにも、完全に囚われていないかというとそんなことはなく、それもそれで多分全然囚われてはいるんだけど、それ以上に「自分の求める美しさ」に自分がフィットしない時の、内側から自信の根がしなしなになってしまうような感覚が、個人的にはウッとなる。

何かを好きでいるということは何かを好きではないということで、何かを美しいと思うことは何かを美しくないと思うことで、難しいなと思う。

@kinako3101
no title