最近、色々なことについて、色々(と言っても大してその深さはない)考えてはいるけど、それを表に出さないことばかりだなぁと思う。それが良いことであるとは思っていないが、今の私にとってベターな選択だと思ってはいる。
Twitterがその話題で埋まるような何かが起きた時、それについて流れてくる言葉を見て、その渦に少し酔いそうになりながら距離を取って、でも蓋はしないように、議論の流れや大まかな状況の把握ぐらいはしておこうと思って、けれど結局は断片的にしか知ることができず、その一部に対して頭の中で考えを巡らせて、けれど外に出す言葉としては無、みたいなことによくなる。
何も考えていないわけでも何も見ていないわけでもないけれど、どうにも最近言葉の渦に飲まれてなり気持ち悪くがちなので、あとはそもそも流れを追えないことも多いので、ちゃんと状況やその時の一番旬な情報(その時点で最も正しいとされる情報)を、拾えていないという感覚がずっとある。詳細を知らないのに、背景が分からないのに、流れを把握できていないのに、反射でその動きに反応して、何かを適当に口にすることへの抵抗がある。それが誤って変な波を生むこともいやだ。
自分の知っている情報の中で考えられることもあるから、考えていないというわけではない。ただ、それをひらけた場に置くことができない。言葉の影響力を多分過度に考えすぎてしまっている。ただ、「こんな小さなアカウントにそんな影響力はない」と言えるような時代ではもうないと思うので、抑制しようとする意識は別に少し過度なぐらいにあって良いと思っている。そのバランスは考えたいけれど。
でも、この感じが無意識に癖になって『言葉を抑えて口をつぐむことが最適』と私の脳が覚えてしまうのも良くないなと思う。言葉を発さないことは時にベターでなことではあるけれど、ベストではない。
正しさは使い方を誤ればすぐに凶器になるから、振り回してはいけないし用法容量(SNSにおいてはその全体量についても)は考えなくてはならないけれど、だからと言って口を閉じてしまえば、明らかに正しくないものが正しい顔でのさばっていくことを止められない。黙れば良いというわけではない。変な流れを生みたくない、誤った情報で、雑な言葉で、偏った視点で人を傷つけたくはない、けれど、それを恐れて口をつぐむことを選び続ければ、何かをずっと取り零してしまう。せめて考えなければ、という危機感がずっとある。ずっと言葉にしないことは、次第に考える力を弱らせていって、徐々に自分を色んなことの「部外者」にしていくような気がする。私にとって言語化することと考えることはかなり近くにあるからだと思う。誰の目にもとまらない場所ではせめて、言葉を使って頭を回す回路を閉じないでいたい、と思う。
そう思うと同時に、いやでも、難しいよな、とも思う。私は私の日常を回すことが最優先事項で、朝起きないといけないし、週40時間は働かないといけないし、お風呂にも入らないといけないし、ご飯も食べないといけないし、睡眠も取らないといけないし、健康に自分の毎日をコロコロコロコロ休まずに転がしていかないといけない。私の精神も身体も健やかに保つことができるのは私だけだ。誰も代わりにはやってくれない。そうなった時に、バランスが難しいなといつも思う。みんなどうやってバランスを取ってるんだろうか。
自分の人生に関係ないこと以外は全部ポイできるほど良くも悪くも個人主義ではないし、それが楽であってもそうは転びたくはないし、かと言ってあらゆる問題に常に目を凝らして考えられるほどの心身のキャパシティもない。とはいえ、自分の人生で手一杯で他は抱えられないというほどの状況に今いるわけでもない。なのでそういう私は、0か100かじゃないところでヨタヨタしながら自分の目で見て、考えて、休んで寝て起きて食べて考えて遊んで動いて考えて、時に言葉にして、適度にやっていくしかないんだろうけど。
まあ、寝よう。