録画機能が壊れたのでいよいよTVを買い替えることにした。先の予定を考えると2月中に買ってしまいたい。設置するには配線の上に飾っている仏壇がわりの祭壇を片づけなくてはいけない。
母の納骨が済んだあとに居間の壁面を大きく使って、両親の遺影や位牌を置き線香やお供えをあげられるようにした。その上の壁に造花の花やツタをアレンジして飾ったので、居間全体がお堂のような雰囲気になっていた。一周忌後の年越しも過ぎて春の気配がただようこの時期、飾り換えにちょうどいいのは間違いない。
もう一つ、この時期に飾るならおひな様だ。我が家には長らく一対のおさま様がいらっしゃる。姉の初節句に母方の祖父母から贈られたもの。ずいぶん前からきれいなお顔が欠け、衣装は色あせてほつれている。修理に出すことも考えたが、きちんと直すなら部分修理では済まない。お顔も衣装もすっかり変わってしまう。修理は諦めて何年も「今年で最後」と言い続けて飾ってきたが、母が亡くなった後も供養に出すことができずにいた。
同時に、代わりのおひな様に出会いたい、とずっと思っていた。今のおひな様に比べれば短い間しか飾れないけれど。
日常が落ち着いてきた1月の終わりごろからおひな様を探し始めた。なかなか置いている店がない。以前は季節の飾りを見られる店が街のあちこちにあったものだが。探し疲れてカフェで休みながらネットを巡っていたら、気になる人形を見つけてハッとした。小さな香合の素朴なおひな様。実物でお顔が見たい。店はそれほど離れていないが、その日は疲れて足を運ぶ気になれずに帰った。
日を改めて街に出かけた。小さな茶道具店ですぐ目指すおひな様を見つけた。ネットの写真と寸分違わない。即、「これをください」と言っていた。
紙箱に納まって手さげ袋に入った小さなおひな様。歩きながら、バスの中で、うれしさがこみあげた。こみあげてくるのに驚いていた。わたしのおひな様。姉に贈られたお下がりではない、わたしだけの。言葉に直せばそんな感情だった。
そうだ。わたしはずっと寂しかったのだと思う。うまく言えない、認めたくもないけれど。
父が亡くなってから10年以上、毎年おひな様を飾ってきた。それ以前のことは思い出せない。母を喜ばせたくて季節の飾りを気にかけた。箱を開けるたびそこに書かれた姉の名を眺めてきた。本来なら姉が結婚するとき処分されるはずのものだ。姉に執着はないようだった。修理や供養を考えていると話してもどうでもいいという風だったのが、そう、悔しかった。
その姉も「今年で最後」と言った翌年にまた飾っているのを「もう一度見たかった」と喜んでくれたのはうれしかった。本当はあなたのものなんだから。わたしが代わりに大切にしてきたものを惜しんでほしかったのだろう。
本当に小さなことにいろいろな感情が絡まっているものだ。その一つ一つをそっと解きほぐして、姉のおひな様とわたしのおひな様が仲良く並んでいる。おひな様の交代式だ。そしてこの先どこへ行こうとも、小さなおひな様はずっとわたしのそばにいるのだ。
飾り替えの済んだ居間では両親のスペースはコンパクトにまとまって、祭壇の周りに置き並べていた様々な供物や書類が「早く片付けてよ」と積み上がった。今すぐは整理できないからと、とりあえず取っておいたものの山。これも一つ一つ解きほぐしていかなくては。
少し日が経つと新しい様子にもなじんでくる。この配置がふさわしいくらいの時間が経ってしまったということだ。あれもこれもついこの間と感じるけれど、いつまでも立ち止まっているわけにもいかない。形が変わっても、心の中には切なく懐かしく残るのだから。
寒の戻りが来てTVはまだ買いに行けていない。設置するときはおひな様を避難させなくては。そのつもりで飾ったので、両親の祭壇ほど大変なことはないだろう。