2年分の大晦日

きの
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2023年が終わる。母の後片付けの1年だった。母が生きて最後に家に帰ってきた、無我夢中の昨年を振り返り続けて過ごした今、この2年間はひと組だったと初めて気がついた。それもこの大晦日で暮れようとしている。

12月に母がお世話になった施設を訪れて、また、ご縁のあったグループホームに介護消耗品を寄付して、母が亡くなって生じた後片付けは終わった。まだまだ片付けなくてはならないけれど、今年の予定は全て終了したのだ。

今も時おり母のいた日々が懐かしく恋しい。でもその思いに長く浸ることは無い。目の前の小さなことをひとつひとつ片付けながら穏やかに暮らしている。ずいぶん元気になった。1年前はヨレヨレで、もう長いこと自分が誰で何がしたくて何が好きなのかもわからなくなっていたけれど。

会いたい人に会い、行きたいところに行き、やりたいことをやるようになった。どれも日常のささやかなこと。それだけで何が好きだったのか分かってくる。どんな人間か思い出してくる。あのトースターが家に来る前の自分、そして家を離れた一時期に見つけた自分だ。戻るのではなくいま見つけるのだ。

来年はどうなるだろう。生きてみればわかる。やろうとしている事はいくつかある。いつも何をしていても不安で迷っていた、そんな自分が過去になるのか、いつか再会するのかわからないけれど。

でももう何をしても後悔することはない気がしている。何があってもそこからまた始めて、最後まで生きようとするだろう。父と母が、お別れした沢山の人たちが見せてくれたように。最後の瞬間まで生きること、生きようとすること、生命の流れに寄り添うこと。

わたしは生きるという夢を見ている。この人生は夢だ。わたし自身が、生命が見ている夢なのだ。