あいさつを交わす

きの
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少し前からごみを出すときにあいさつをするご近所さんができた。わたしよりずいぶん若い。他に立ち話などするご近所さんといえば上の世代ばかりなのでとても新鮮だ。長いこと「おはようございます」程度だったけれど、その人がごみを出す時とてもていねいにネットを広げているのに気がついて、「いつもありがとうございます」と話しかけてから向こうもにっこり笑ってくれるようになった。

ネットを放り投げたような形にしておく人、自分が使う分だけ広げる人(わたしだ)がほとんどなのだが、その人がしゃがんで四隅まで広げているのを雨戸を開けながら何度か見かけていた。ていねいな人だなぁ、と少し自分が恥ずかしくなった。

収集場所は道路をはさんでうちの真ん前で、わたしが出入りしているのは周り中からよく見えるけれど、その人がどこから来ているかは知らない。おそらく少し離れた小さな集合住宅だろう。

その人はいつも部屋着のような格好に(パジャマかもしれない)、季節によっては上着をはおり、寒いときでもだいたい素足につっかけ。目立つ服装ではないが色やデザインをシックにまとめていて、短めのボブとよく合う。最近では見た目について指摘するのはほめてもマナー違反らしいので何も言わないけれど、以前なら「おしゃれですね」など言ってしまっただろう。

そんなことなのでわたしからは一方的に好感を持っている。向こうがどうかは知らないし聞くこともないだろう。これからもずっと「おはようございます」「寒い(暑い)ですね」以上の言葉は交わさない。そしていつか姿を見かけなくなるのかもしれない。

不思議だと思う。人生の一時期、近くに住んで時々言葉を交わす。この広い世界でそんな相手は実は滅多にいない。長い間近くで暮らしていても、顔も名前もはっきりしない人がほとんどなのだ。

考えるまでもなく、わたしはその人の人生を知ることもない。そして今まで知り合ったどんな人でも、親しい時間を持った人でも、その人の死に目に遭うことや、どんな人生を送ったか、どんな風に亡くなったかを知ることはまずないのだ。

お別れのあいさつさえ交わすことはないのだろう。当たり前のことだろうか?とても不思議な気がするのだ。