車いすの方の映画館での話。
ポストなりリポストなりで、色んな人が反応をしているのを見たけど、映画館スタッフサイドに共感してる人の方が多くて驚いた。もっと半々ぐらいになるかなと予想していたから。
車いすで生活する中での悔しさよりも、何かの組織に所属して「特例は認められません」と断る時に苦しさや煩わしさの方が、既に社会という組織に所属している我々にとっては、想像するのが用意だからかもしれないけど。
明日「特例は認められません」とお客様に対して告げる確率と、明日事故にあって車いす生活をおくることになる確率って、ほとんど差がないと思うんだけどな。
映画館スタッフの立場に立って「何故(映画館で)特例を作らない方がいいか」を説明するのはとても有意義だと思うけど(実際勉強になったし)、映画館の見やすい席で見たいという願いを抱くことに対して「介助者を伴えばいい」と言い放ってしまうのは、言葉にしてしまう前に、立ち止まって考えられたのではないかなと感じた。
今、大好きな映画を何回も通い詰めて見てる人や、仕事を頑張ったご褒美にプレミアムシートに腰かけて一人の贅沢な時間を味わっている人の前に、貴方と同じことをしてみたいと車いすの友人が伝えてきたら、君には無理だよと平気で切り捨てられるのか?自分が、今すぐ事故にあって車いすになったとして、「貴方はもう映画館に通い詰めることも一人でじっくり映画を観ることも許されませんよ。車いすなんですから」と言われたら、苦しみも悲しみも悔しさも抱かずに「そうですか、当然ですよね」と心の底から笑えるのか?と思う。
映画館スタッフの方の対応は、言葉選び以外には間違っていないとは思うけど、それまで許されていた行為をいきなり禁止されてしまった悔しさや悲しみを、ないがしろにしないで欲しいなと、寂しく思ってしまった。
明日、たまたま両足で歩けている私たちにだって、訪れる現実かもしれないのに。