「真夜中は、なぜこんなにもきれいなんだろうと思う。
それは、きっと、真夜中には世界が半分になるからですよと、いつか三束さんが言ったことを、わたしはこの真夜中を歩きながら思いだしている。光をかぞえる。夜のなかの、光をかぞえる。雨が降ってるわけでもないのに濡れたようにふるえる信号機の赤。つらなる街灯。走り去ってゆく車のランプ。窓のあかり。帰ってきた人、あるいはこれからどこかへゆく人の手のなかの携帯電話。真夜中は、なぜこんなにきれいなんですか。真夜中はどうしてこんなに輝いているんですか。どうして真夜中には、光しかないのですか。」
「昼間のおおきな光が去って、残された半分がありったけのちからで光ってみせるから、真夜中の光はとくべつなんですよ。
そうですね、三束さん。なんでもないのに、涙がでるほど、きれいです。」
冒頭のこの一節がだいすきで何度も何度も指でなぞった。もう真夜中に起きておくことはほとんど出来ないけれど、布団に潜って目を瞑ってしんとした真夜中の星空を思い浮かべる。真夜中に光があることをわたしは知っている。星の光、月の光、夜中に動いている人の光、道を照らす街灯の光。そして誰かを想う気持ち。この本で語られる光はきっと、三束さんの事だ。光はいつか消えてしまうけれど、一度出会って心に灯った光のことは忘れない。
付き合うとか恋人になるとかそういう形を求めることが正解ではない。きっと。昼間のおおきな光が去って、残された半分がありったけのちからで光ってみせるから、真夜中の光はとくべつ。また夜を想像して眠る。好きは光る。から特別なんだと思う。