神様のケーキを頬ばるまで

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「晴彦くんに出したものよりもいくぶん簡単なパンケーキの一皿をテーブルへ運び、慎重にフォークを差し込んだ。一口分を切り取って、頬ばる。このケーキを食べるだけのことはしたはずだ。

私は私を褒めていい。このケーキは、この世の誰よりも正しく、私のものだ。そう思いながらロを動かせばゆっくりと体中へ染み通っていく、天国の甘み。」

悲しい日にはケーキを買って食べるようになったのはいつからだっただろう。悲しい日、なんて毎日なのに、そうして特別な日を作っていたのは、自分になにかご褒美をあげたかったからだと思う。もう今やケーキは嬉しいときに食べるものになったけれど、あの頃を振り返ると苦しさや悲しさやどうしようも無い気持ちとともにケーキがあって、泣きたい気持ちをぐっとこらえながら食べていたことがあった。だから、「塔は崩れ、食事は止まず」という短編の中で郁子がパンケーキを頬ばりながら、「このケーキを食べるだけのことはしたはずだ。私は私を褒めていい。」と思うところにとても共感した。自分のことを認めてあげるためにケーキが存在している時だってある。自分のことを認めてあげながら、美味しいケーキを食べていい。

たまたまチョコレートを自分のために買ったところだったから(ケーキとは違うけれど)、「この世の誰よりも正しく、私のものだ。そう思いながら口を動かせばゆっくり体中へ染み通っていく、天国の甘み。」という一節を噛み締めながら読んだ。この世の誰よりも正しく私のものとして存在してくれるもの。そういうご褒美を私のものにして生きていけばいい。大丈夫だ。躓いてころんでも立ち上がって、自分のために存在するものを大事にしていけば、大丈夫。忘れても、忘れられても、人生は続いていくのだから。

@kirakira227
日々のあれこれ