春に思う 時間は無いという概念

kisato
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バルコニーにてんとう虫を見つけた。1匹だけ壁にくっついて周りは壁ばかり。どうしようとしてたんだろう。先日も小さな虫を見つけた。虫たちは知らず知らず土の中で命の火を灯し蠢いていたのだ。

変わらず眺めているつもりの自分も自覚も無く知らず知らずに変化しているのだろう。

そういえば肩の筋肉が硬くなったのか痛みで可動域が狭くなったのでその周囲から動かしてストレッチしている。だいぶ楽に動かせるようになったのと春の気温上昇が平行して進んでる。今年も相変わらず花粉症薬は手離せない。

考えることや思う事にも変化している気がする。気がするだけでなぞらえるのが難しい。けれど確かにどこか変化している。子どものころいつの間にか背が伸びてるのを自覚できないように。気がついたらメモ…できるかな。

時間は無いという概念を思い出す。

最新の物理学では「時間は存在しないかもしれない」のだそうだ。

「宇宙には共通の現在が存在しないため、絶対的な時間も存在しない。結局時間とは、アインシュタインによれば、人間が生み出したただの概念なのです。」

過去も未来も無い。だいぶ前から聞いたことのある言葉だけど理解できず理解しようともせず呪文のような言葉として時々思い出す。

世界は出来事の集まりだけだと言う。

情報の流れと情緒の流れ。

出来事の集まりと思いの集まりの違いは何だろう。

「想い」も空気や水や埃のように、ひと塊りのように集まったり一緒に流れてどこかに停滞したりふわりと散ったりするのかもしれない。

同じ想いが集まったり雨のように降ったり。

そこにも物理的な法則があるのかもしれない。

それは地球の自転と季節風とは別の次元で動いてるのだろうか。

時間が存在しないのなら想いも存在しない。どちらも原因と結果、過去から未来へ流れてるだけ。空即是色。色即是空。

そんな考えても仕方のないことをまたぐるぐると考えてしまってるとセキレイの鳴き声が聞こえてきて空を見上げた。

もう冬の寒さは帰ってこない。

桜が満開になり、熱帯からやってきたような湿った空気に梅雨の気配を感じる。

出来事の集まりと季節の移ろいに気持ちが寄り添って疲れたりほっとする日々。

小さな葉っぱのまま冬超えしたミントが覗いてる。