共感疲労に与える幸せな瞬間

kisato
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◼️漫画家志望のムシメさんのこと

今年に入って思い出している人がいる。この事をすぐ書こうとしたけど地震や飛行機事故など目まぐるしい出来事があってこの重いテーマについて書く気力も出なかった。書きたいと思う気持ちが残って心に引っ掛かったままになってた。

2011年1月4日に自らの命を絶った漫画家志望の人。確か漫画は出してるから漫画家と言ってもいいのかもしれない。

昨年、2011年に担当してた漫画家が自殺してショックを受けたという人の話を目にしてまさかムシメさんの事かなと思ってからまた思い出し今年の命日を意識していた。

こちらの投稿の後ムシメさんは亡くなった。

"灯火: 日本一才能のない漫画家志望(死亡)" http://neversaypoor.seesaa.net/article/178280846.html

ムシメさんのことを知ったのは『死とインターネット』というテーマで【「日本一才能のない漫画家志望(死亡)」の最後の記事:古田雄介のブログ】を読んだ時。現在古田さんのブログはブログごと削除されてる(現在noteを書かれてるのを発見した)。

ブログにその事を書いたきっかけでムシメさんに親身になっていた教育ジャーナリスト&教育評論家の松本肇さんとコンタクトを取ることとなり当時詳しい話を教えてもらった。

なにかしらここに書こうと思ってたけど松本さんが最近取材を受けたことを知り書きたかったということだけ書いておくことに。

2023年10月 "氏ムシメさんについて取材を受けました | ゴールドプロ作家 松本肇 のブログ" http://prosakka.jugem.jp/?eid=6938#gsc.tab=0

◼️戦争

戦争が産み出す世界は果てしなく人間性を狂わせるのだろうか。

ハッカーは学生のDiscordサーバーに侵入し、過激なグロ画像や動画を表示。それが原因で学生たちは阿鼻叫喚。嘔吐する学生から、病院へと搬送される学生まで出てくるという事件になってしまった

"過激な“グロ画像”で学生が病院に搬送。Discordサイバー攻撃、こわ…" https://www.gizmodo.jp/2024/01/uc-irvine-students-hospitalized-hackers-discord.html

*次のリンク先の記事の内容は閲覧注意です。

私は自動翻訳を読んでしばらく吐き気が止まらず参ってしまいました。情報操作戦による記事なのか事実としても本当にそんな事を人間はやってしまうのだろうかやってしまうのかもしれないと混乱し暗澹たる思いに。やっぱり戦争なのだなと。

----> 注・追記 情報操作.ブラックプロパガンダだったようです。参考:動画24分あたり、岡真理さんのセミナーより→『人文学の死―ガザのジェノサイドと近代500年のヨーロッパの植民地主義』https://www.youtube.com/watch?v=ieAacjnjdyQ

10月7日ハマースがイスラエルの女性に対して行った行為ニューヨーク・タイムズ紙の記事" https://www.nytimes.com/2023/12/28/world/middleeast/oct-7-attacks-hamas-israel-sexual-violence.html?unlocked_article_code=1.J00.mk8u.Vl16PcTK1aYH&smid=url-share

イスラエルがガザ地区への無差別爆撃をしている。多くの国が非難してもG6は「無条件な全面的な支持」をしている。ニュースに接するたびにひどい非力感無力感に襲われる。

ロシアとウクライナの戦争も現在塹壕戦が地獄の様相と化してるニュースに接したりしてる。多くのニュースを読むことはできないけど見ないということはできない。だから全体を捉えていないことはわかってる。

こちらは↓ブログに書いたメモ

"イスラエルとパレスチナ問題についての参考リンク"

◼️共感疲労に与える幸せな瞬間

最近書かれたイリナさんの言葉

恐怖が魂を腐らせる餌として毎日のように与えられる現代社会。この罠に出口があるか誰にもわかりません。ただ、拷問のような日常の恐怖に身体が壊れ、支配され、誰でも抑圧者となる環境が揃っています。現代を生きる私たちは皆当事者であると同時に、皆P T S Dを背負うことでしょう。そうして操作されやすいモノになっていくのでしょうね。

"PTSDと生きる1 イリナより - だいわlog" https://daiwa-log.com/magazine/yun_irina/life10/

災害や事件事故など突然の要素に対処しきれず情報を咀嚼するのが苦しく辛くなるのは当然のこと。

こうしたことに打ちのめされて、何かできる事がないか考え行動するのは人として大事なことであるけれども、心が持っていかれたままだと悪い意味でおそらく周囲に大なり小なり影響を及ぼしてしまう。

私たちは様々な事象によって小さく大きく心を乱し混乱し驚き嘆き悩む。

こんな時こそ自分へのご褒美として「幸せな瞬間」を見いだしたい。こころに栄養を与えること。 共感疲労だけでなく、辛いなと思ったらよくがんばったねと自分にご褒美をあげる楽しみを見つける。小さくて簡単にできるご褒美。それらがきっとバネになってくれる。

自分はどんなことに幸せを感じるだろう。

私はこれまでそういう考えが出てこなかった。辛いのを辛いままに抱えてしまってた。なんでかな。

こころが疲れたらご褒美。何か楽しいことなかったっけと。そう考えるだけでちょっと元気が出てきそうな気がする。日向ぼっこするだけでもご褒美になりそう。

猫画像見るとかもふもふ猫画像見るとか猫…

「風が吹くとき」の映画のように、もう自分にはなにもできずただ死を迎えることしかできなくなっても、身の回りの誰かや知らない誰かを思いやるひとときがあって幸せな瞬間を抱きながら塵になれたらなと祈ります。