こういう話はどう書いたらいいのだろう。だいぶ前に雀に落とし物の在処を教えてもらった出来事を書いたくらいだろうか。
"雀たちとの会話"
他に誰かが一緒にいれば心強いだろうに自分だけの体験だと途端に心細くなる。あれは本当にあったことなのだろうかと。でも何があったのか不思議に思うほどに忘れられなく思い出すたびに何故と考え、考えてもわからないことを持て余したまま時間だけが過ぎていく。
こういう話はまるで日本昔話やお伽話のようにも思えて中身をもっと脚色すれば面白い童話か何かになるのかもしれない。
毎日のバス通勤の日々のある日の朝のできごと。
いつものように、バス停に並んでバスを待っていた。そこは街中で狭い道路に交通量も多くバス停にはすでに数人が並んでいた。
私の後ろにも数人が並び、狭い歩道に他の歩く人の邪魔にならないように歩道の片側に皆静かに並んでいた。
バスを待ちながらぼんやり反対側の歩道を見ていたら、あれ?と私を見つけたという顔をして真っ直ぐ私に向かって歩いてくる女性がいる。走っている車を縫って狭い道路を渡ってきた人は私の知ってる人なのかなと見ていると、その黒いワンピースを着た女性は私のそばまで来て周りの人には聞こえないように気遣いながら小さな声で耳元に話しかけてきた。
「あなた金縛りにあってませんか?」
ギョッとした。なんでそんなこと知ってるんですかと思わず聞き返した。と同時に気持ち悪さと気をつけろと心の中から警戒心が出てくる。知らない人だたぶん。まさかどこかの宗教団体かもしれない。誰にでも同じことを話し掛けてたまたま当たった人が引っ掛かるかもしれない。いや、なにか売りつけてくるかも。そんないろんな思いが渦巻いてるところに彼女は手短に必要なことだけ伝えてさっさと去って行った。
狐につままれる思いでいつものようにバスに乗り、その日1日を無事に過ごして家に帰り、彼女が教えてくれたことを半信半疑で実行してみた。塩を紙に包んで枕の下に置くこと。これだけ。
それだけなので別に損もしないし簡単なのでやってみた。
その日まで数日間毎日なぜか金縛りに悩まされていた。たまに金縛りに遭うことはあっても珍しく続くなぁとちょっと困っていた。
塩を枕の下に入れたその日から金縛りが無くなった。
金縛りが無くなったことで嘘みたいに心身が楽になった。なんでだろう、とにかくお礼を言いたい。
そう思って毎朝バス停に立ったとき彼女の姿を探した。その後 2年くらい引っ越すまで毎日彼女の姿を探して見つけることがなかった。
塩、よく穢れや罪を祓うために使われるというけれど宗教の垣根を超えてなにか効能があるのだろうか。ほんとにさっぱりわからない。
このあとも、金縛りがあったときに試しては無くなり(その時だけ塩を枕の下に置くだけ)やがて金縛りにかからなくなり現在は足を布団から出してたせいで冷えてたまにこむら返りするくらいで金縛りにはかからなくなっている。そもそも金縛りって脳が疲れて身体が連携せずに起こる生理作用のようなものだよねぇ。ねぇ。でも彼女はなぜ私が連日の金縛りで困ってることがわかったんだろう。