ドッペルゲンガーファンタジー

kisato
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公開:2024/10/4

録画してた 日曜アニメ劇場「劇場版 夏目友人帳 〜うつせみに結ぶ〜」 を観てて思い出したこと。

たしか1シーズンの途中までのアニメしか観ていない。進撃の巨人やメイドインアビスに(蟲師もその頃だったかな)気を取られたのか忘れてたみたい。もう7作目。10月7日からTV放送される。

中学生くらいの頃、暗くなってから帰宅した時、家々の灯りが見えてあちこちの夕食の匂いが漂う中歩いてると妙に寂しく感じられた。自分だけ取り残されてるような感覚になってこのままずっと帰ることができなくなってしまう気がすることがあった。

家から学校までは結構遠い場所に住んでおりその間の長い距離を歩く苦痛を忘れたい為に色んな事を想像しながら歩いてた気がする。時にはバスに乗って帰ることもある。そのバスに乗れなかったり別の場所に走っていって家に帰れなくなる夢を未だに見ることがある。

夏目友人帳のアニメでは、家に帰ったら別の自分が自分の振りをして既に家族のように認知されてて食卓に着いて食事をしていた。帰ってきた自分を見た家の人はあなたは誰と聞く。自分が忘れられているのを知って目が覚める夢。

同じ事考えたことがあると思い出した。帰ったら別の私がいる。家族は私を見て誰と言う。

このシーンについて友人に話す。中学生くらいのころこんな事になるのではないかって不安がよぎったことがあったと話したら、わかるわかる!とすぐ同意されてびっくりした。え、あなたもと。

そのシチュエーションは自分だけの想像でこれまで誰にも話した事が無かったのに本当は他の人も想像してたことに今更気づいた。みんなも(1人にしか確認してないけどきっとみんな)そんな妄想してたのか。

ショートショートみたいな小説とかそんなシーンあったかな、アニメか漫画かな。ドッペルゲンガーとかシェイプシフター(人に化けて人間界に溶け込んでいる者だそう)とか。

ふと思いつくこうなったら怖いとかおもしろいとか思いめぐらすことは時代を超えて共通してるんだろうけど決まったパターンがあるのかもしれない。

自分だけ思いついたように思えてもどこかで見たり読んだりしたことだったり既に大昔から考えられていたこと、集合知やアカシックレコードをその時代の空気から多くの人が無意識に感じとることもあるのかななどとちょっと大袈裟に考えてると…やはり人は一雫のひとつひとつが集まって大きな集合体へ帰っていくのだろうかという説に辿りつく。やっぱりそうなのかな。

ドッペルゲンガーといえば、職場で「あなたあそこでも働いてるんだね。」と声を掛けられた事がある。その人のかかりつけの歯医者に勤めていた歯科助手だったらしい。何度も行ってて完全に私だと思っており声を掛けようと思ってたと。そんなワケない。違うと言うと驚いてた。そっくりだったらしい。

ドッペルゲンガーって検索したら、ドイツやイギリス中国やら神話やら大昔からあった。

まあ私のそっくりさんは単なるそっくりさんだろうけど会いに行けばよかったと思う。自分とそっくりな人なんてなかなか会えるものではない。驚いてみたかった。

ドイツ語圏の〈ドッペルゲンガー(二重身)〉のほか,英米圏では〈ダブルdouble〉,中国では〈離魂〉または〈離魂病〉,日本では〈分身〉〈影法師〉〈影の病〉〈影の煩い〉などの名で,神話,伝説,迷信などに古くから登場し,霊魂が肉体から分離して有形化したものとか,二重身の出現はその人物の死の前兆などと信じられた。

芥川龍之介は体験してた。

芥川龍之介(1892〜1927)は、神経衰弱の末にドッペルゲンガーを見て、それを小説(タイトルは「二つの手紙」)にしています。"

ドッペルゲンガー(分身)をめぐる死の文学――芥川、ユング、ドストエフスキー、ワイルド、ポー、『ツイン・ピークスThe Return』|日本実業出版社"

学校帰りの家路に向かいながらもうひとりの自分が既に帰ってるかもって妄想してる子があちこちに歩いてる光景。同時にってことは現実的じゃないけど仮に同時にだったらシュールで面白い絵だなと想像してふふふとなった。