何度鳴くかによって意味があると知ってからカラスの声に耳を傾けるうち最近声の中の感情が伝わってくる気がしている。そもそもカラスの事を知らないのだから想像の域を超えないけど、ふとカラスの鳴き声が聴こえると耳を澄ますのが愉しみとなってる。
テレビを観ててもその中からカラスの声が聴こえると鳴く回数を数えどんな意味かなと思う。挨拶かな、お腹空いてるのかな、同じ回数で満足そうな時でも嬉しそうだったりまあまあだなって感じだったり、優しげだったり投げやりだったり聴いてて面白い。たまにしか聴こえないからそんな風に面白がってられるのかもしれないけど直接身体に響いてくる音と感覚が面白い。
声の調子にはいろんなその人そのものが含まれて発せられる。それを受けとる者はそこに受けとる者の思い込みや想像も含まれてしまう。短い言葉に乗って真っ直ぐその温かさが伝わることがあったり、どこかわからないものを探る不安な調子だったり。虚空を掴むようなわからない感触もあったり。
「言葉のカーテン」という言葉を思い出す。お喋り過ぎな人は相手との間にカーテンを降ろしていてコミュニケーションを遮断してるという意味だったと思う(何処かで聞いたうろ覚え)。こちらの反応や応答などお構いなしに捲し立てて伝えようとする人がいてこういうことかと思ってたけど言葉そのものがカーテンになる意味かもしれない。
スタバで休んでたら突然地震があった。そこにいる皆が不安な時間を共有したせいだろうか。隣に座ってる人も向かい側に座ってる人もどんな人かなんてそれまで見てなかったのにほんの一瞬周りの人の顔をお互い真っ直ぐ見る。向かい側には若い男性がノートパソコンを開いていた。隣には高齢の女性が座っていたことに気づいた。お互い驚いて少し呆然としてからそれ以上揺れないようなので少しずつ通常の空気に戻っていく。隣の女性とビックリしましたねと自然に会話していた。3.11ではどうでしたという話しをした。
その時だけまるで前から知ってるご近所さんのような親しみを感じながら話しをして店を後にした。地震がお互いの距離をぐっと近づけた。その時聞いた彼女の体験と情報は新聞にもネットにもどこにも載っていないような貴重な話だった。そんな話はきっとたくさんあってそうそう出てこない。
言葉でカーテンを降ろしたり近づいたり言葉はいつもその時々に生まれ流れ伝わっていく。
言葉が文字になるとその人の感情や気持ちが削ぎ落とされ見えなくなったり逆に増幅され読み手はそこに想像を膨らませる。共感するものを探りその言葉との距離を測る。
人の言葉も言葉そのものに集中するのではなく相手の言わんとすることを受け取る余白、そのままではなく伸び代を含ませた間、解放された間合いがお互いを自由にする気がする。
カラスの鳴く声に耳を澄ませるように。
言葉にならない言葉に耳を澄ませるような。
そんなふんわり視点と共にできるだけそのままを受けとめられたら。
そんなことをカラスの鳴き声から考えていた。
🐦⬛
*カラスの鳴き声についての説明(検索結果より)
・1~3回の鳴き声 ->仲間とのコミュニケーション
1回はほかのカラスとの挨拶、2回は空腹や注意を伝える、3回は満足したとき、自分の位置を知らせるなど。同じ回数の鳴き声でも別の意味が込められている場合がある。
・4~6回鳴く場合 ->敵が来たときなどの緊急時の連携。
・7~8回は仲間を集めたり群れのリーダーが指示を出すときの合図。回数だけでなく「鳴き方」によって別の意味として仲間に伝えていることも。