実体の無い人の存在について

kisato
·
公開:2024/5/24

見たこと確認したことは他の人が否定しても自分にとっては否定できない。同じように見ていないことについても否定はできない。想像の可能性も否定できない。

私たちは世界の一部を見ているに過ぎない。

私たちの認知機能は限界がある。

なにが言いたいかというと、実体の無い生きていない人の姿を見ることについて。一般的に「霊」と呼ばれてるしわかりやすいけどこの言葉はおどろおどろしくて使いたくない。いかにも怖い。けど仕方なくこの言葉を使う。タイトルにはどうしてもこの言葉を使いたくないので「実体の無い人」と表現してみた。

なんだかわからないから怖いんだと思う。

ここ数年来、こうではないかと考えている事がある。そう判断してみるとそれは単なる物理法則の一環なのだからイタズラに不安や恐怖を抱かなくてもよくなるよねと思う。とはいえ別にそれが研究されたものでもなければ(そんなことしてるところはあるんだろうか)証明もできない私見だし何の役にも立ちそうにない。もし役に立つとしたら同じ経験をしてる人かもしれない。

私がそう考えた経緯は何度か遭遇していくうち、それは実際に在るけれどもお互いに影響しあえない関係性があるのではと思うようになってから。これはもしかして想像してたものと違うぞと。

「霊」解けない問題は横に置いて思い出した時取り組んでみたかったことのひとつだった。

何年も判断保留。保留のままでしょうと諦めてた。13歳頃から書物を読んだり調べたり考えても面白おかしいエンタメ系の話は沢山あっても結局よくわからないまま年月が過ぎた。誰かに相談もできなかった。話された側にとってどう受けとめたらいいか戸惑い否定のしようもなく不快になるか面白がるかただただ受けとめるかいずれにしても距離が生まれてしまう。一緒に認知されないことってそうなってしまう。

看護学校でも単なる幻覚と診断されるんだなと思ったしメンタルクリニックに勤めてた頃はそこにいないはずのものを見ると訴えた人は統合失調症あたりに診断されてたかと思う。家族に付き添われて来院してずっと怯えていた。

たぶん普通見えないものが見えても(脳に異常が無ければ)それに囚われ日常生活に異常をきたすかどうかが病気の境目なんだろう。

◼️私の見えかた

私の場合頻繁に遭遇するわけではなくたまに見かける程度で会話ができるわけでもない、というか話しかけようと思ったことは無い。

遭遇する時は大抵リラックスしてるときで、自分だけで見たときは勘違い見間違いかもしれない、幻覚かなと疑う。

他の人が見えないものを見たときは見たこと自体か見た自分を否定したくなる。

それはまるで生きてる人のように見えるけど半分透き通ってたりそこは人が歩けない場所だったなどおかしなことに気づく。いつも見た後にあれ?と思うけど怖くなるわけではない。

例えば印象に残ってるシーンのひとつ、当時住んでたマンションの4階で暑くて玄関扉を開けていた。開けるとうちの中が丸見えになる構造だったけど人はあまり通らないので気にせず開けていた。今思うと不用心だった。

カシャーンカシャーンと交互に足を滑らせる音はしてるのにローラースケートの両足を揃えたままスーッと通り過ぎて行く若い男性を見た。真っ直ぐ廊下の先を見たままこちらに顔を向けるわけでもなく。そのあとどこかの扉を開ける音(どこの部屋の人かもわかる程大きな音がする造り)も階段を(エレベーター無し)降りる音も無いので気になって廊下まで見に行った。誰もいなかった。真昼間のできごと。

ひとりで見た。もしかしたら疲れてるかもしれない、白昼夢かなと思った。見たあと怖くならなかった。爽やかな好青年風のいい雰囲気だったからなのかもしれない。よく怖いお話で血が流れてたり苦しんでる霊など出てくるけどそうした姿は見た事がない。通りがかりにたまたま見かけるような事が多い。

3人で一緒に見て一緒に驚いたこともあったけど第三者が確認してそれを指摘してくれた事があった。その体験が私にとって霊があるかないかという問題ではなく、ああほんとに見える人には見えてそれは確かに「在る」のだとわかったできごとだった。

その後 考えることはその実体は何なのかということにシフトした。

◼️その存在を認めることができた出来事

職場の3人で一泊観光旅行をした。

古い旅館の部屋に敷かれた布団に3人で眠った。夜中にふと起きた私は何か聞こえてくるものに耳を澄ませた。トイレで起きたわけではなかった。その音(声)で目が覚めたのかもしれない。しくしく泣いている声は洞窟で響いてくるように聞こえた。

まさかだれか泣いてるのとゆっくり起き上がって2人を見たが2人ともぐっすり眠って寝息をたてているのが見てとれた。

それならこの声はと思った瞬間怖くなって布団を頭から被りなんとか眠ろうとがんばった。すぐに眠れそうもない。声は聞こえてくるけど近づいてくるとかそれ以上何も起こらなかった。ただ泣く声だけが聞こえてくるだけ。眠れないよと泣きそうになってたらいつの間にか眠って朝になっていた。 

これまで怖い思いをしたのはこの時の1度だけ。もしかしたら夢を見たのかもしれない。2人には何も話さなかった。

帰宅した翌日の朝。

洗面室の大きい鏡の前に立ったとき、私の後ろに私より15cmほど背が高く髪は肩より少し長い女性がふんわり見えた。半分透き通ってる。少しの間見えて消えていく。

怖いというよりどうしよう面倒だなと思った。どうしたらいいんだろう、疲れてるかもしれない。見間違いかもしれない。でも仕事が始まるので考える暇は無い。高齢の男性が入院している個室に入った時だった。その人は1ヶ月ほど入院していてすでに顔馴染みになっていた。背が高く口数の少ない物静かな感じのいい人だった。病室に入った私を見てすぐに話しかけられた。 

「あ!あなた連れてきちゃったね。」

あ!髪型変えたんだねみたいな調子で言われた。

同じものを確認してくれる人がいると知って嬉しくてすぐに「え?!わかりますか?」と応えた。

そして「どう見えるんですか?」と畳みかけた。

すると具体的にどんな人が私の後ろにいるのか話してくれた。鏡に見えたそのままだった。

旅行先の出来事を話して気のせいかと思ってたと伝えた。その人は「こちらで(この部屋で)やっておくから。」と言った。え?なにを?まさか外してもらえる?「私はなにもしなくていいんですか?」と聞くと「なんにもしなくていいよ。」と言った。「たぶん明日には離れて居なくなるから。」と。

この受け答えをしてても実は本当かなという思いもあった。外してくれても原因が私にあるとしたら(心の周波数みたいなもので誘き寄せる法則でもあるのかと考えてた)また戻ってくるのではいう不安もあった、

翌日鏡の前に立ってももう見えなくなった。

その人にお礼を言い、なにをしたのか聞いた。

その作業(?)をした半紙のような白い紙を出して見せてくれた。真ん中に墨のようなもので丸い絵のようなものがあったのは覚えてるけど他に何が書いてあったか今は思い出せない。これに向けてお経をあげただけだそうだ。その紙を見た印象は神道系かなと思ったけどお経ということは仏教系かな。何かの宗教か聞くとそうだと言ったがどこの宗教なのか教えてくれなかった。うんまあいいからと濁された。

むしろ教えてくれなかったことでこれは本物なんだと思った。見える事に悩んでその宗教の門を叩いたと話してくれた。もし教えてもらっていたら私も入りたくなったかもしれない。自分で何とかできるならと。今でもどんな宗教だったのかは気になるけどその時はそれ以上聞けなかった。

◼️認識が変わる

その時以来、なんだかわからない不安なものではなく、確かに見えるものだったとわかった事で私にとってその意味ではひとつの悩みが解決された。誰か同じものを認識していると知ってからそれは極端に言えばモノを見ているのと等しい意味となった。

年月を経て同じような怖い出来事は起こらず(通りすがり的なものは見かけても)その意味では平穏な日々を送ってるからそんなことが言えるのかもしれない。

相変わらず一体どういうことなのか、結局その実体は何なのかわからないのは変わらないけど、何らかのエネルギー体なのではないかと考えるようになった。そう捉えるとしっくりくる。

◼️残存したエネルギー体

そこに見えた霊は、その生きた人では無く、生きていた人の影のようなエネルギーが残ってたのではないかというのが私の判断した結論。それを見たのはたまたま周波数的な何かで繋がって見えてしまったのか、それは想像するしかない。それがわかれば見えた人と見えない人の違いがわかってきそう。

その私の背後の霊を見えた人はなかなかスゴイ人だったのかもしれない。合わせる周波数が広いとかかなぁ。

◼️かもしれないかもしれないその先の世界の謎

肉体は死んで細胞がバラバラに離れて朽ちてやがて形を無くしていく。

魂とはなんなんだろう。

心の記憶はどこだろう。心はどこに。

残存したエネルギー体になった存在はやがて分解されて周囲に溶けて混ざり合い流れていくのだろうか。粒子になって飛んで流れて土になり草花になっていくのだろうか。

心のエネルギーも別の心のエネルギーに出会い変化するのかもしれない。霊に心はあるのだろうか。私はたとえあったとしても他の世界が見えない一方向しか見えていない動きしか残っていない気がする。だからこちらが見ててもあちらからは見えずすれ違うのではないだろうか。どこか別の次元にいるように思える。

それともまだ認識されていないまた別の世界が展開されてるのだろうか。