こちらを聴いて考えたこと。
“気持ちが不安定になるのは、意識が現在にないとき。過去を悔いたり未来を心配したりしているときに、精神的に不安定になりやすいものです。今に集中する一つの方法として「動作をゆっくり丁寧にする」ことはとても有効。”
#124 不安定な気持ちを安定させる方法 - 超リアルな行動心理学 FERMONDO(フェルモンド)
今現在を見ていない意識状態を変性意識状態といえるそうだ。
変性意識状態とは、目覚めてはいるが、日常的な意識状態とは異なった意識状態のこと。
この問題点は身体はまだ起きていないことをあたかも実際に起きているかのように反応してしまうことらしい。傷つかなくてもいいのに既に傷ついて実際に遭遇する時は疲労困憊になっている。思ったほどの事ではなかった事に安堵したのに疲れ切ってしまっている。ああそういえばそんな事あったっけなと思う。考えてみるとほんとバカみたいだ。けれどこれって大切な場面であるほどやってしまいそう。
「現在を見ていない」という意味で誰かを見ていることもやってる。あの人誰それに似ているとか相手をそのままに見ていない。子どもを見てもその印象から生じた思いを想起してその子を見ていない。全てにおいて観ていない。そこから親近感を得、その人をどんな人か確かめもせず想像して決めつける。親しくなるための手段とはいえ言われた方は似ていると言われる人を知らず戸惑う。ある意味失礼でありまたは仲間だよというサインともなる。
この放送では、今に集中するために「動作をゆっくり丁寧にする」ことをお勧めしていた。
1月に観たドキュメンタリー番組を思い出した。
"「京都・表千家 〜わび茶の世界〜」 - NHK特集" https://www.nhk.jp/p/ts/DN23LL75QJ/episode/te/GZX53K4X8Y/
選び抜かれた弟子(?)の方々が庭の葉っぱの一枚一枚を丁寧に拭き取る様子や茶道具を整える様子がとても美しく印象に残った。まるで瞑想してるような佇まい。修行してるお坊さんみたいだった。
他にも書道や編み物、絵を描くこと、太極拳やストレッチ、多くのこうした集中する動作が昔から親しまれているのは本能的に必要だとわかっているからなのかもしれない。好きな事に没頭する時間を得る大切さも今を生き生きと生きることが深い嬉びに繋がることなのだなと改めて考えさせられる。
そこまででもなく日常的な生活の中での動作を見つけてやってみるといいのかもしれない。ただ、時間を取っておかないと出来なさそう。日常生活の一コマをゆっくり丁寧に動作することとして選ぶのが意外に難しいとも思った。冷蔵庫はできるだけ開けておく時間は短くしたいし。
好きな猫動画を観るのも他のこと考えずに集中して観るんだからそうかなと思ったけど(であって欲しいけど)受動的なものはちょっと違うらしい。実際に猫を相手にしてるのとはやはり次元が違うのだろう猫と戯れることができる人羨ましい。あ、話が逸れてしまった。でもそれを観せてもらってる人も確実にいい気持ちをお裾分けしてもらってるよね。
ゆっくり動作してその動作に集中することを積み重ねるとその意識から外れたときに気づけるようになり、本来の自分に戻ることができるようになるらしい。
なにがいいかなと考えてみたいと思う。
◼️起きて眠れなくなること。悪魔の正体?
変性意識状態で不安に襲われるといえば、まだ眠ってていい時なのに途中で目が覚めて何かを考え始めて眠れなくなることを思い出す。
寝ている途中に目が覚めた時、ぼんやりした意識の中に突然ひゅっと胸に去来してくる不安。
あっという間にほんの一瞬の出来事で不意を突かれる。
寝ようと思ってもその不安に押し潰され頭がどんどん冴えてきて眠りの世界に入ることができなくなってしまう。
変性意識状態だと判断能力が劣るのだろうか。
起きて日中改めて考えるとなんであんなに考えあぐねて苦しんだのかと思う。そこまで悩んでも仕方がないと結論した考えがどこかに置き忘れられている。
本当に一瞬で鷲掴みにされるこの得体の知れないモノ。これこそよく宗教の話に出てくる悪魔の正体かも知れない。悪魔の正体は「不安」だろうか。
不安な状態にあることさえ自分では気づかずのめり込んでしまう。
◼️
そんなときに思い出したい。
未来か過去へシフトしたために不安になってるよ。自分ではどうすることもできない未来の形に怯えてるだけなんだよと。
ここ最近、こうした眠れなくなりそうなネガティブな思考に陥りそうな時、宝くじ当たったらどうしようかなぁと考えると意外にすぐ眠れるということを発見した。未来のことを考えてるわけだけどあり得ないことで(買ってないし)楽しいことを考えると不安からは離れていくのだろう。
楽しい現実逃避はリラックスさせてくれる。
真夜中の対処として有効だったけど、集中するひとときを過ごすようにしてすぐに中道に、本来の自分に戻れるようにすることは必要不可欠なことのように思う。自分を傷つけないために。毎日続けられる集中する動作を見つけたい。
「今」に生き「今」に戻りたい。