震災から思うこと

kisato
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1月1日の元旦に能登半島で大地震、翌日に羽田空港の滑走路で日航と海上保安庁の航空機が衝突した羽田空港衝突事故が起きて正月気分は吹っ飛んだ。

地震の方は震源地が浅いためらしく短い期間に何度も大きな地震があり心配な状態が続いている。今日で1週間目。

*令和6年能登半島地震

1月1日(月)16時10分頃、 M7.6、最大震度7 深さ16km

マグニチュード7.5以上は、東日本大震災を引き起こした2011年の一連の活動以来だそう。

気象庁は大津波警報を発表。潮位計では1.2m以上の津波を観測され、珠洲市を中心に広範囲が津波によって浸水。地震による地殻変動で隆起。珠洲市に設置している津波観測点は隆起に伴い観測不能になってるらしい。

国の支援がどうか早く届いて1日も早く安心して過ごせるようになりますように。

◼️

令和6年能登半島地震の報道を観て3.11の震災を思い出し思わず投稿した。*3.11 M9.0 震度6強

真夜中に震度5とか避難所をあまり大きいのが来ない場所に動かせないんだろうか。震源地が浅いと大きな地震が続くらしい。震度7がこれからもあり得るとニュースでも言ってるし。

https://bsky.app/profile/kisatomii.bsky.social/post/3khzvovzjz62i

在宅避難の場合最初の3日間は割と頑張れてしまう。たぶんアドレナリンが出てるせいかと。辛くなるのはこの後。3.11の時通電したのは10日目。7日目過ぎる頃食べ物も底をつき辛さがピークになった。もし移動できるならできるだけ近い場所の電気が通ってる所へ。 

ちなみに津波がきたけど家が流されてないエリアでは自衛隊が来てくれたのは7日目。温かい食べ物が本当にありがたかったな。

https://bsky.app/profile/kisatomii.bsky.social/post/3ki33ddhxes2y

「もし移動できるなら…」という言葉はあくまでも「在宅避難」の場合のこと。もちろん何度も大きな地震を避難所でも受け入れ難いわけで避難所が安全な場所に移動できるならそうして欲しいしそうであって欲しい。国や市町村の支援次第となる。これからも震災はある。国の支援は見直されているだろうけれどより良い支援ができるように工夫されますように。

避難所の場合、在宅避難扱いに移行すると仮設やみなし住宅に入れなくなったり支援が手薄になる場合があるので避難所で頑張らなければならなくて…想像以上に過酷な生活を送られてると思う。ラッキーな部分を探しては工夫しながら励まし合ってることと思います(NHKドキュメンタリー番組からの情報ですが現在は損壊判定によって対応されてるかもしれないのでそれぞれの自治体に確認した方がいいでしょう)。

津波が来たエリア内の避難所に手伝いに行った時正直その空間から逃げ出したくなる気持ちになりなんとか生活できるなら家に戻りたくなると思うしそうしてる方もおられるかもしれない。 

No.135(2019冬号) | 一般財団法人消防防災科学センター

1 消防「避難所のあり方、海外との比較」

" みなさんは避難所というと、体育館などの床に段ボールやマットを敷いて毛布で寝ている大勢の被災者の姿を想像するのではないでしょうか。しかしこのような避難所は先進国では実は日本だけです。 "

http://www.isad.or.jp/wp/wp-content/uploads/2019/03/no135_7p.pdf

◼️支援のニュース

1/4、早い発表に驚いた。すぐ実現しますように。

"岐阜県高山市、市営住宅で能登半島地震被災者受け入れ…愛知県と名古屋市も住宅を無償提供へ" https://www.yomiuri.co.jp/national/20240104-OYT1T50148/

〈岐阜県高山市は4日、能登半島地震の被災者に対し、市営住宅など44戸を無償で提供すると発表した。光熱水費も無償にするという。〉

みなし住宅手続きもできるようになった。

"賃貸型応急住宅の供与について" https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kenju/chintaigata.html

上記の条件は応急危険度判定により、「危険(赤色)」と判定され、住宅に立ち入ることが困難な者など…家が無事でライフラインだけが途絶してるだけなのは含まれない。

◼️家は無事でもライフラインが途絶するということ

町全体が壊れてしまっている場所で家自体は比較的大丈夫そうだけどライフラインは当分復旧が見込めない場所など被災状況は様々となる。

被災状況がそれほど大きくない中途半端な被災者はうちは無事なんだからと我慢しがちになる。

営業しているホテルが割と近い場所にあってプチ避難ができたらそうした方がよかったりすると思う…というかそうすればよかったなと振り返ってみると思う。実際泊まれる所は無かったかもしれないけど探そうともしなかったから。せめて大きい余震が来る可能性のある最初の1週間のうち1日でもゆっくり休めたら…。

実家がさほど被災してない場合そちらに避難する人もいるだろうけど家が無事で避難所に行く必要もない人の支援は届きにくい。大きな地震が来る可能性があるならゆっくり眠れない。

◼️3.11 ライフラインの事

具体的にどんな工夫して暮らしてたか書き出すと長くなるので割愛します。

3.11で津波が来たけど家は流されなかったエリアでは、電気は10日目に通電。水道は4日目の頃水は通せても下水が使えないので止められてた(津波が来てない場所のコインランドリーは電気が通った10日過ぎに使えるようになった)。

19日目に水道が出てトイレを普段通りに使えるようになる。

1ヶ月後の4月7日 M7.4 震度6強。また家の中はぐちゃぐちゃに。電気水道は止まらなかった。

ガスは4月21日、40日目に開通してやっとお風呂を沸かせるようになった。

全てのライフラインが復旧したのは40日目だった。

この間も、温かい食事が出来てトイレを使えてお風呂に入れる場所を探して1日だけでもいいから泊まる場所を探すことを考えてたらもうちょっとマシだったかなと思うのでした。最初の1週間とその後の何日かを安全な場所で過ごすことは必要だけど…やはり難しいのかもしれないけど。

ガソリンが足りなくなるので移動も抑えめになる。

◼️繋がりのある方への支援

個人的に繋がりの深い人への支援は何か送るのではなく郵便局が動くようになったら現金書留がとても助かります(連絡ができるようになりそこに住んでる限定になるけど)。

クレカやATMが使えず全て現金でしかやり取りできなくなる。宅急便は動かなくても書留は届きました(震災後20日後のこと。郵便局の窓口はしばらく休止してる)

◼️復旧後の夏の臭いの問題

道路が復旧しだいぶ街が元に戻ってきて次にやってくるのが夏場の臭い。

側溝なのか津波の泥が残ってたのか嗅いだことのない臭いがそこらじゅうに漂って窓を開けられなくなった。3年くらいは酷かった気がする。津波が来た東部道路を過ぎたあたりまで臭ってた。家の中では窓を閉めていれば臭いは遮断されたけど近くの仮設住宅の人たちは悩まされていたかもしれない(確認してない)。

この臭いについてはあまり言われてるのを見たり聞いたりした事が無いので不思議に思ってる。

東部道路を境に津波が来た。ここが境目になってるのは漫画家の荒木さんも不思議に思ったのか ジョジョの奇妙な冒険「ジョジョリオン」の壁の目はこの東部道路のことを匂わせている。

*壁の目: 2011年の大震災のあと、杜王町に出現した謎の壁状の地形。

◼️引っ越しできる人は引っ越した方がいい

もし津波に見舞われる場所での借家だったら復旧終える頃まで住んでもその後このような臭いに悩まされるので引っ越しできるならした方がいい。

実際持ち家の人でも引っ越して行った人がいた。だけどここ最近は津波が来たエリアなのに家を建て買う人も出てきてます(さほど安くもないのも不思議。ハザードマップでは津波が来る場所なのは変わらないのに)。

私は3.11を体験してもここに住んでるのは引っ越したくても引っ越せない人という認識でいる。大地震がまた起きたら建物が今度こそ倒壊するかもしれない恐怖に襲われることはわかっている。

1ヶ月後の4月、2回目の大地震のとき建物が壊れるかもしれない恐怖から揺れてる途中から泣いた。

当たり前なのだろうけど、受容のキャパ超えると人は泣くのだなと理解しました。不安、恐怖、悲しみを受けとめるキャパシティはむしろ子どもの頃の若い時の方が大きかった気がする。

◼️防災グッズの見直し

出掛け先で被災した時のために普段から携帯用充電池や絆創膏など小さな防災グッズを持ち歩いてると思うけど今回の能登半島の地震から防災を意識して更にバッグに耳栓とか使い捨てタオルやホイッスルなど追加した。

"【警視庁公式】命を救う防災ボトルをダイソー品で作ってみた!(さあ) - エキスパート - Yahoo!ニュース" https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/b47f0b2925680c75dd6556ba130d25851f09f0e5

◼️中日新聞デジタル新聞部 youtubeより

【能登半島地震・動画ルポ】穴水町・能登町・珠洲市の被害は Japan earthquake