安久都さんへ
安久都さんが取り組んでいる<とろ火>*1のSlack上で、先月私から「往復書簡をやってみたい」という企みを投げかけました。1日と待たず「やりましょ!」という安久都さんからの応答をもらったことで、この往復書簡が始ろうとしています。
そのSlackのチャンネル名が「#妄想やら企みやら」と、”あくまで妄想や企みの類だから・・”のように引っ込め可能なタイトルであったおかげでしょう。反対にもし「#実現したいこと・目標をコミット」のようなイケイケなチャンネル名であったなら、この往復書簡の企みを表に出すことはなかったのだろうなと思っています。
*1 とろ火とは
一緒に悩み、考え、本を読み、語り合いたいと思いから、安久都さんがはじめた企み。本を借りられるとろ火書房という図書棚を展開したり、つらつら語り合う場所を開いたりしている。現在は安久都さんと面識のある5人前後がとろ火に参加している。
なぜ往復書簡を投げかけたのか。
直接的な理由の前に。私が往復書簡という表現・コミュニケ―ションの方法に初めて触れたのは、2年ほど前に『急に具合が悪くなる』という、哲学者と人類学者の間で交わされた往復書簡形式の書籍でした。詳細は省きたいと思いますが、一人では紡ぎきれないものが、二人だから出てきていた。片方の著者がガンを患っている最中での書簡のやり取りであり、まさにタイトル通り徐々に病状が悪化していくという、いわばドラマ性も少なからず読書体験に寄与していたと思います。ただ、そのドラマ性に閉じ込められない、人と人との応答のし合いによって一人では行けない場所まで著者二人は行ったんだな、羨ましいな。ということをこの書籍から感じたわけです。
先日、この安久都さんとの往復書簡を始めるための作戦会議の場だったと思いますが安久都さんから、「岸本さんこの本読んでるだろうなって思ってました~」と屈託なく言われたときは、「お、俺のことわかる?」と、自分のことを理解してくれていた信頼感と、まだ接して数ヶ月なのに理解したのかという悔しさの2つを同時に感じたことを正直にお伝えしておこうと思います。
往復書簡を投げかけた直接的な理由は、半ば利己的なものです。現在開発を進めているセックスレス予防アプリが中々使ってもらえない。原因は様々あるはずですがその大きな1つが、提供者、開発者としての私の顔が見えておらず、利用者との信頼関係が築けていないのではという要因であり、危機感でもあります。顔を見せるための手段は昨今いくらでもあるものの、私の特性<話すより書く>、<語るより応える>に合った手段はないものかと考えたとき、往復書簡に行きついたという経緯です。つまりこの往復書簡によって、未来の利用者に私の顔を理解して欲しいという利己的な動機がありました。
前置きの最後に、この安久都さんの往復書簡にあたっての決めごと的なことは、作戦会議ですり合わせた通りに、
コレというテーマは特に決めない
1往復に約1ヵ月(片道2週間程度)
期間はおよそ半年(つまり6往復)
初回便は岸本から
でした。筆を進めていきたいと思います。
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安久都さんとの接点は、ワークテラス佐久というコワーキングオフィスの利用者として(私)スタッフとして(安久都さん)が1つ。もう1つは、佐久市の八菜農園という農家さんでの農作業アルバイトの同僚として。
そして、この往復書簡をするような関係につながったのは、畑で大豆の実を茎からこそぎ取る作業を2人で黙々とこなす中で、互いの仕事のことや読書のことを2,3時間淡々と語り合ったことと、それで何かを感じ取ってくれたのか、後日安久都さんの主催する〈とろ火〉の対話イベントに招いてくれたことが大きかったと思っています。
私が安久都さんについて知っていることは僅かです。でも多く知ることが良いとも思っていません。
知っていることと言えば、およそ一回り若い(たぶん酉年±1年)こと、私と共通してここ1年で佐久市に移住してきたこと(安久都さんが半年ほど先輩)、Webメディアの編集長であり、最近第一子を迎えられたこと、そして自らの「生きる」と向き合い、「生きよう」としていることです。
こうやって生きると書くと明らかにぼんやりしてしまいます。安久都さんの生きるは、死ぬときに幸せでありたいとか、生きるとは何なのかといった哲学的なものでもなく、あるいは生きてるって最高!という生の肯定側に立つわけでもない(おそらく立ちたいわけでもない)ように思います。
あえて言えば、生きている上で自らに差し迫ってくることについてどう受け身を取るか、と言ったらいいのでしょうか。受け身というと耐え凌ぐというようなニュアンスがありますが、そのような文字通りの受動的な姿勢ではなく、受け身をとりつつその動きの勢いを使ってスッと構えを直す、という感覚が近いのかもしれません。
そうでした。最近新しく安久都さんについて知ったことの1つに〈躰道〉*2 なるものの経験者ということがありました。さきほど受け身という言葉を軽く使ってしまいましたが、格闘技や武道のたしなみが無い私が安久都さんを前にしてこれ以上この比喩を使うことは控えたく思います。
*2 躰道(たいどう)とは
「体軸の変化によって攻防を展開する創造進化の武道である」(中略)武道の命題である「護身」の在り方を従来の手足を先に動かして身を護るのではなく、命の本である胴体(体軸=体幹)を動かしてから身を護るという逆の発想をもって武道の原理化を図った。(日本躰道協会Webサイトより引用・抜粋)
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さて、今回1つ安久都さんに質問してみたいと思います。
安久都さんにとっての「人」とはどのようなものですか?
抽象的で答えにくい問いを、サイン無しの直球で投げてすみません。
ここでいう人とは、他者、自分以外の存在のことです。例えば家族や同僚だったり、コンビニで応対してくれる店員さん、あるいはふと道端ですれ違い目線を一瞬やり取りするような見知らぬ人のことです。
何年か前、大学時代から付き合いのある友人から「岸本って人に興味ないよな、でも人からの評価は気にするよなぁ」と言われ、妙に納得しました。
興味がないとは、人への好悪の感情自体はあるにせよ、人を大好きになったり反対に大嫌いになったりすることが少ないことだったり、その人のためなんだとお節介を焼いたり反対に人に意地悪な扱いをすることがほぼないことだったりします。自分にとって人は「疎」な存在とも言えるかもしれません。
一方で、「さすが岸本だな」という言葉を得られるために死ぬ気で働いたりすることもあれば、コンビニのレジ対応をしてくれた店員さんに対してどんな言葉を返せば「いい感じの客だった」と思ってもらえるんだろう、等と考えてしまうこともあります。このとき、人は「親」な存在だと思います。
このように私にとっての人は疎でも親でもある存在で、矛盾しているようにも見えるのです。そして未だにこの矛盾を解きほぐせていません。
ひょっとしたらこれは矛盾ではなく、単に「疎」に振り切っているだけなのかもしれません。自らにとって「人」は自分と同じようには居ないかのごとく「別なもの」として感じているから、自分への評価だけが気になってしまうのだと。
私は今、「日本のセックスレスを半分にする」という目標を意気揚々と掲げ、先に少し触れた通りセックスレスを予防・解消するアプリサービスを作っています。これは明らかに人の奥底にある葛藤に触れる作業です。その作業に携わる者が、人ってどんなものでしょうか?等と軽々しくも安久都さんに問いながら、自分の中で未だモヤモヤしているようでは目標は今もこれからも遠いままでしょう。
安久都さんなら「答えを決めつけずに探し続けることがきっといいんだと思います」と声を掛けてくれそうですね。といいつつも、もしかしたら安久都さんは「答えを定めず探し続ける、というスタンスで本当にいいのだろうか」というループしそうな問いにさいなまれることがあるのかなと想像したりもします。
二人で一緒に奥底に潜っていくのでもなく、かといって水面でお気楽にプカプカと浮かぶでもなく、「はーい今度は岸本さん潜ってー、ロープ持ってますけど前回より頑張ってくださいね」のような、あるいは古地図をたよりに海底の宝物を二人で役割分担して探し当てるような、そんなやりとりを、作業をこの往復書簡でできたらと思っています。
言い出しっぺながら、先頭バッターはどうも苦手な気質のようです。地に足のつかない話題だったり、人に質問するふりして自分を語ってしまったように思います。
それと同時に、これを読んだ安久都さんを想定外の場所に連れていけていたらと期待しますが、その期待は「まだ早い、これからだ」と一旦はしまって第一便の筆を置きたいと思います。
岸本 直樹
プロフィール
岸本 直樹
1981年生まれ。カムウィズ代表。過去パートナーとのセックスレスを経験、試行錯誤するも解消できないまま離別。20年「あなたとパートナーの性についての分析 rebed β版」をリリース。21年 東芝エネルギーシステムズを退職し、活動に専念。22年 カムウィズ設立。あたらしい形のセックスレス予防・解消サービスを開発中。理学修士・工学修士・学士(心理学)・認定心理士。性科学・家族心理学を勉強中。愛知県出身、23年春に現在の妻と川崎から長野県佐久市に移住。
あくつさとし_安久都 智史
1995年生まれ。悩み、考え、書を読み、語り合う企み「とろ火」の火守り。その人を“その人”たらしめるドロッとした部分に興味があります。普段は、文章を書いたり、コワーキングスペースの受付に座ったり、農家さんのお手伝いをしたり。どう生きのびて、どう生きていくのか、ひたすらに迷い中です。22年11月に佐久市へ移住。妻とお子がだいすき。
(安久都さんのページはこちら)