注意書き考

kitada
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この絵は1月6日のために、ミストラス(ミストラ)のストリートビューを見ながらその印象で背景を描いたものです。

ミストラはコンスタンティノス11世戴冠(即位)の地とされています。The Making of Byzantine History: Studies Dedicated to Donald M. Nicol.中のThe question of Constantine Palaiologos' coronation[1]にて、正式な戴冠式が首都において行われなかった経緯について検討されているのを最近読みました。

ミストラスは現在で言うペロポネソス半島の南部の山あいに所在します。

戴冠について考えながら描く時、例えばその当時の様子を描くということが真っ先に思い浮かびます。ただ情けないことに、私はその儀式の様子を知る努力が追い付いていません。知ったとして、それを描くことが部外者の私に許されることかも今は判断ができません。中途半端な状態の思考でいます。なので、本来あり得ない現代の衣服(スーツ)を着ながら、ゲーム中で正式な装いとしている第三再臨のマントを纏おうとしている折衷の姿を描きました。

私はよく、二次創作の注意書きに「実在の歴史に何らかの意見・主張を表明する意図はありません」と書きます。

これは「この物語はフィクションです。実在の○○とは関係がありません」という注意書きを自分の思うことに近づけるために分解したものです。

なぜ一般的な注意書きをそのまま使わないのかというと、「実在の歴史と関係ないわけがなくないか」と思っているからです。名前も、出来事も、関係も、現在に至るまでの伝える努力、見つける努力が重ねられてきたからこうして触れることができるものです。この歴史を傲慢にも使って物語を編んで楽しんでいる身で、「関係ありません」という言葉を使うのがなんだか自分の感覚と少しずれてしまいます。「関係がない」という言葉に甘えそうになるのが怖いです。

関係がないなら地図でこの場所を調べたりしません。未熟を承知で研究をあたったりしません。私は実在したコンスタンティノス11世と繋がっているfgoのコンスタンティノス11世を好きでいます。

でも、100%実在そのままだとも言えないと思っています。それは商業的娯楽作品を通している以上は、事実及び事実の語り方の探究を目的としている行いではないと考えているためです。それを専門に取り組み続けていらっしゃる研究者の方々、あるいは我がこととして信じている方々の思いに対して立てるほどの切実さも、意義も、エンタメ込みでいる限り私には持ちえません。故に、「この二次創作で現実の学術的営みに対して賛成反対の意見を出すつもりはない」ということは明らかにしておきたいという意図です。ただし、これはあくまで作品外部の私の意図なので、「読んでもそういう態度が感じられない」ということがもしあれば、それは私の拙さですので、改善すべきです。

もう一度論点が戻りますが、フィクションであったとしてもその描かれ方・受け取り方が学術的歴史に対する私の感覚を変えるということがあったのですから、同じことが私の描くものについても、それを読む私(あるいは、他の方)に起こりうるということは想定すべきだと考えられます。(描いたものの技術的巧拙はおいておいて、というかそれに関わらない話です。)この点からも、「フィクションだから関係ない」という発想を排していたい、と思っています。

以上をまとまった言葉にすると「この物語はフィクションです」の定型句になるのだと思いますし、これが書かれているものについて、私は自分の使う注意文のような意味を含むものだと受け取って読んでいます。

[1]Michael Kordoses, "The question of Constantine Palaiologos' coronation",The Making of Byzantine History: Studies Dedicated to Donald M. Nicol., Charlotte Mary Roueche, Roderick Macleod Beaton(ed.), Aldershot, Ashgate Variorum, 1993, pp.137-141.