私は性癖の都合上、主に仄暗く鬱々とした話を書いている。
中には『キルミーテンダー』などのR-18Gに振り切ったマジキチエログロ肉体損壊リョナものもあるが、それらを書くのはどうしても自分の中にある嗜虐性に歯止めが効かなくなった時だけだ。最近ではほとんど鬱展開しか書いていない。
食わず嫌いはよろしくない、ものは試しとギャグテイストの小話やアホエロ、ご都合展開のハッピーエンドものを書いてみた事もあったが、やはりどうにも性に合わなかった。
私は、優しい悪夢と生き地獄を核にして推しCPの話を執筆している。
熱しやすく冷めやすいので短編しか書けないが、どの話も上記の二つが練り込まれていると思う。俗にライターズコアと言うらしいが、これらは私自身の人生観に由来する。私自身が脳内世界の中で生き、まともな幸せを与えられているにも関わらず忌避して受け入れていないからこそこれらについて書きたいと思うのだろう。大層立派なご身分だこと。断っておくがこれは私自身の問題で、誰が悪いとかは一切ない。私が自分で取り決めた、私の生き方の問題だ。要するに私自身が、生き地獄の中で優しい悪夢を見ていたいのだ。だから当然私が書く話はすべて、私の自我や思想などを強く強く反映している。
私は鬱々とした話を展開する都合上、主人公となるキャラクター(推し)に何らかの障害や疾患、その他諸々の落伍感や社会不適合的な性質を埋め込みがちだ。例えば『モルペウスの初恋』では推しを癩病にしたし、『柘榴』の舞台では推しは天涯孤独の余所者だ。『キルミーテンダー』では安直に人格障害をもつ社会不適合者にしたし、『肉這う縁側』に至っては戦線から戻ってきた推しが重度の身体的障害を背負うという憂き目に遭っている。
しかし鬱々とした話の中でも、私は途中の展開で、読者様にわずかな希望の光を持たせられるよう心がけている。これは別に良心の呵責とか推しが可哀想になったわけではなく、単純に上げて落とすのが楽しいからだ。
ただただ苦痛を味あわせて死なせるだけでは生ぬるいし、展開が陳腐で退屈なものになってしまう。やはり生き地獄といえど、飴になるものが必要だ。かといって推しを救ってはいけない。絶妙な味付けにしなくては、などと思いながら書いている。
情緒ジェットコースターに定評のある(らしい)私は、ひたすら自分が書いてて楽しい話を書いていたい。書き上がった結果の産物には興味がない。他者からの評価はそれなりに気になるが、執筆過程で脳汁が出れば、私自身が満足できればそれでいいと思っている。
要するに人間臭い推しキャラの、底辺を這う惨めな姿が三度の飯より大好きなのだ。それが例えどんな凄惨な結末になったとしても、私は泥沼の中で一縷の希望を見出し生き汚く喘ぎもがく死に体のキャラを思うがままに書いていたい。可哀想な推しはそれ以上に健気で可愛い。
ありがたい事に読んでいただいた方からご感想やご意見をいただける事がある。どんなご感想であっても、その方が貴重な時間を割いて拙作を読んでくれたという事が嬉しくて、いただく度に踊り出したくなる。とても光栄な事だ。
拙著を読んだリアルの知り合いからは「救いはないんですか?」と聞かれた。
そこになければないですね。