異界という言葉に、昔から強く心を惹かれる。チートキャラに転生できる異世界ではなく、理不尽な異界の方である。
学生の頃に最もやり込んだゲームがSIRENとゆめにっき、Ibだった。後者は異界ではなく主人公の脳内世界が舞台となっていたが、広義的にはあれも立派な異界だろう。洒落怖のきさらぎ駅なんかも大好きだった。
夢の世界、並行世界、常世、帳、時空の狭間など。異界と呼ばれるこの概念には様々な類語がある。どれも魅力的だが、私が最も好きな異界のタイプは「限りなく現実世界に近いものの、自分以外に誰一人として他の気配がない」というものだ。自分一人がぽつねんと世界に取り残されて、どう行動しようとも周りに変化が見られないという世界が好きだ。
さて、私は日の出の時間帯や深夜などに散歩する事が好きだ。誰もいない時間帯の薄暗いないしは底知れない闇に包まれた畦道を、ゲーム操作でもするようにただひたすら歩くという事が好きだ。途中途中でぼんやりと光る自販機や古い神社を見つけては、セーブポイントと称して立ち止まったりジュースを買って飲んだりする。一種のロールプレイング感覚だ。恐らくはこの嗜好も、異界への強い興味に起因するものなのだろう。
3回に一回の頻度で、クロを小脇に抱えながら散歩する。はたから見ると立派な徘徊不審者である。しかし都会ならいざ知らず私の地元レベルのクソ田舎であれば、等間隔の街頭こそあれ夜の10時にもなればほとんど道を歩く人がいなくなる。だから私が道を歩いている途中で唐突に踊り出したりうさぎ飛びで縦横無尽に移動したとしても、目撃される心配はほとんどない。心底気楽だ。見渡す限り自分だけというシチュエーションには言い知れぬ開放感があり、爽快だ。万が一誰かがこちらに歩いてきたとしてもそこに特段の恐怖はなく、あすこの電柱に隠れて脅かしてやろうかしらというような気分になれる(絶対にやらないが)。露出狂と言われる人種は、こういう気持ちで夜な夜な街に繰り出しては己の恥部をさらけ出しているのだろうか。
以前、朝3時頃にほっつき歩いていた時だったろうか。散歩の途中でコンビニを見つけた。途端に現実へと引き戻された私は中に入ってタバコとアイスコーヒーを買った。クロを小脇に抱えながら。あまりにジャストフィットじていて、クロを持ってきた事を忘れていたのだ。ビーサンすっぴん眉なしパジャマクロ装備の状態で、店員に「48番とぉ…アイスコーヒーのMください」と話しかけてしまった。
あの時の、若い店員の凍り付いたような顔が、今でも忘れられない。