毎月一つはなにか書こうと思っていたのに1月の振り返りを書いたあと気がつけばもう上半期が終わってしまう。→書いているうちに終わってしまっていた。もう7月。
今年知ったのは私はイーロンと誕生日が同じということ。おめでとう私、そしてイーロン。
2月以降、何していただろうと日記を見返している。最近はだいぶ気持ちも落ち着いているので日記を書くこと自体が減っているが、2月から4月くらいまではここではなく日記に書き散らして自分の思考、というかつらさを紛らわせていたと思う。そう、ずーっとしんどかった。ファン活動におけるつらいことなので自身にはなにも問題はないのだけど、自身のことじゃないからこそなにもできない、というか、自分の心の持ちようを変化させるしかないから、いっぱい書いて、あるがままを受け入れるよう努力してきた。
まあつらかったとはいえ、流石にもう大人なのでわりと早いうちにすんなり受容してはいた。これが二十代だとこうはいかなかっただろうなあと思う。人(というか自分の好きな人やもの、こと)と自分を一体化しない、というのはまあ最近ではよく言われるし、当たり前のことでもあるし、またそうなれるよう意識を向けているおかげで自然とそうあれているけれど、それがわかっていなかったころであったら、もっとずっと苦しくて、そんでSNSなんてあった日にはもう気持ちがぐちゃぐちゃになって依存してただろうなあとそう思う。
森博嗣の小説(確か詩的私的ジャック→調べたらすべFだった)で、犀川せんせが萌絵ちゃんにjoinの話をしているのが忘れられなくて、ずっと定期的に文字に起こして忘れないようにしているんだけど、
日本では、一緒に遊ぶとき、混ぜてくれって言いますよね」犀川は突然話し出した。「混ぜるっていう動詞は、英語ではミックスです。これはもともと液体を一緒にするときの言葉です。外国、特に欧米では、人間は、仲間に入れてほしいとき、ジョインするんです。混ざるんじゃなくて、つながるだけ……。つまり、日本は、液体の社会で、外国は固体の社会なんですよ。日本人って、個人がリキッドなんです。流動的で、渾然一体となりたいという欲求を社会本能的に持っている。欧米では、個人はソリッドだから、けっして混ざりません。どんなに集まっても、必ずパーツとして独立している……。ちょうど、土壁の日本建築と、煉瓦の西洋建築のようです。
「すべてがFになる」
この続きで、日本もそのうちjoinの思考になるか?みたいなことも話しているんだけど、まさしくそうなりつつあるなあと思う。そのほうが心穏やかにいられるしな、欧米化というよりこれに関しては最適化であると思ってる。個を個と理解することが尊重への第一歩なんだもの。忘れず日々暮らしていきたい。というかやっぱり人って言語に思考がひっぱられているんだろうな、とそう思う。そういう本があれば読んでみたいが、言語学とかになるのかな。
ちょっと話が逸れたが、まあそんな感じでいろんな変化を受け入れようとしていた4月5月くらいまでであった。時間がかかったようにも見える、んだけど一つのことを受け入れたらまた大事が起こったりしたので笑、それをまた受け入れたりなんだりしてて…今思えばめちゃくちゃおもろかったな。ほんま試されてたわ笑 絶対に忘れられない上半期であったことよ。
でもまあこうやっていれたのも、そのファン活動をしている対象の人たちが一貫して誠実であったおかげでした。本当によかった。誠実であること、ってどういうことなんかというのもずっと最近考えていること。
たとえば一つのことに誠実である人が、別のことにはあまりそうではないことはよくある話で、「そんなこと言ってるけどアレはどうなんだそれはどうなんだ」と言われてしまうとなんか全部無駄になってしまうような気持ちになって悲しくなることがある。全部が全部完璧な人はおらず、その上その「完璧」というのはまあ私の望む(私の理想の)思考・思想に沿っているか、とニアリーイコールであることが多いわけで。なので最近はあまりそういう思考にならないように気をつけている。一つ一つのことを深く見ていきたい。そう物事は簡単じゃないし、SNSを見ていると信じられない思考の人がいるのでなかなか難しいけれど。
でも誠実であろうとすることはできる。人はどうあれ少なくとも私はそうあろうと努力しようとは思っている。それがすべてなので。そしてそれは私が誠実であるために勉強できる環境であること、そのための選択ができる環境であること、声をあげることができる立場であること、それを忘れないように生きていこうとしている。これもこの半年なんども考えたな。
そんな感じでいろんなことを受け入れる半年だった。本もまあまあ読んでるかも?今年にはいってもっとちゃんと勉強しよう、となっているのかもしれない。文芸は去年からずっと京極夏彦しか読んでないが…百年の孤独を買ったので読みます。三体も何年か前に挫折したのでまた挑戦しようと思っていたのを今思い出した。今は「公正<フェアネス>をのりこなす」を読み始めてます。
3月からダイエットを初めている。日記を見返していると1月くらいから痩せようとまた運動(プランクとか)を初めていたが、ぜんぜん効果がなく太る一方だったのでもう諦めて食事管理をしようと決意したのが3月である模様。ずっとわかってはいたがやる勇気がなかった。美味しいものと甘いものと酒を制限なく摂取したかったのです。怠惰。でも決意してよかったな〜メリハリついて食事できてるし。多分あのままいたらタガか外れてしまっていたんじゃないかと思う。そういう雰囲気が私の中にあって、これが最後の機会だぞ、とそう言っていた。
体重管理と健康的な体にするための適度な運動と筋トレは、密接に関わってはいるものの私の中では結局は別だと思っていて、だから実はいま運動はほとんどしていない。3月から6月までは体重管理に重点を置いている、と自分を騙していた。だがそろそろ運動もしないとな…と思っているので先日からラジオ体操を始めている。日に2,3回が目標。初日に盛大に筋肉痛になった。頑張ります。
そういえば5月に入って突然編み物を始めた。きっかけはTikTokを見ていたら突然アルゴリズムが変わって編み物動画が流れるようになったため。見ていたらやどんどんやりたくなって。心が安定するとか無心になれるとかもみて、それまで心が乱れまくっていたのもあってめちゃくちゃ惹かれたんだよね。毎日毛糸に触れないと落ち着かない!というほどハマっているわけではないが、ずっとなにか作っているのでまだしばらくは続けそうだな、という気持ち。セリアやダイソーで気軽に糸が安く買えて、とっかかりやすかったのがありがたかったですね。何事も始めるときが一番たいへんなので。
という感じの上半期。だった。意外と新しいことを多くしていたかもしれない。あと新しいスキンケアの話とか、ファンデの話とかも書きたいが長くなったのでまたいつか書こう。そういうのはしずによりブルスカに書くほうがいいと思うし。