1月の振り返りとか、

喜多
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気づいたら2月だった。

1月にふと思い至ってしずかなインターネットに場所を設けて、4つ記事を書いたところで自分がかなりネガに寄っているな、ということに気がついて書くのをやめた。ネガティブなときにはその感情を出したほうがいい、というのもよく聞くけど、私はあんまりそういうのに向いてない、向いてない? 好きじゃないから、しんどいときは黙って丸くなっていたい。

ここ数年を振り返っても、ダントツでつらい一ヶ月だっただろう。鬼のようにメンタルが削られた。(先に書くが特に家族に不幸があったとか、トラブルに巻き込まれたとか、そういった問題は発生していないので、気にせず読んでいただければうれしい)

1日から大地震が起こり、それに付随して自分にはどうしようもできない、これまでの国やいろいろな対策の不手際に対して怒りを覚え、でも寄付でしか自分にできることはない。コロナ禍のときも同じような状態だった。思った以上にじわじわとしんどいのを感じるが、こればかりはこれから先良くなってほしい、と祈るよりない(もちろん行動もするが)。社会は膿を出し切らんとばかりに毎日なにかしらあったように感じる。ここ何年か思っているが、メディアの責任についてもっと視聴者側から声を上げる必要があるし、でもそれにはまだ成熟がたりないのかも、とそう思う。SNSで膨れ上がる感情は、私が思う「視聴者側から声を上げる」とは違うものに感じた。SNS(というか旧ツイッター)を見ているとより悪い方向へ世界は進んでいるような気がするが、どちらかというと差が広がっているのだろう、と思う。悪いことはより悪く、良いことは少しずつより良く。

それ以外にも、ここには詳しくは書かないが、上記以上に心が疲弊することが、実はあって、それがもう毎日くるしい。本当につらい。最近はもうないが、しばらくは毎日何かしら泣いていた。これはもう慣れるしかない。時間が解決するものだとわかっているし、未来に希望を見出すしかない。もう大丈夫なところまできたと思うので、見えるものを受け取って、大事にしていこうとおもう。抽象的で申し訳ない。

こんなふうに、1月は本当にしんどいことばかりで、長かったのか短かったのかわからないのだが、一生忘れられない一月になったと思う。

昨日、映画「哀れなるものたち」を見てきた。そこで感じた希望が、これから先の日々を暮らす力になるだろう。人は日々成長できるし、自分でこの先の行き方を決められるし、立つ力も、歩く力もある。どんなひどい世界でも。

あと12月から始めた手帳に日々のことを書くことが、自分の気持ちの整理に役立っている、あと思っていたことを思い出せるのも良い。ずっとごちゃごちゃとしていて、もうこのまま整理できないんだなと思っていたあれこれが12月と1月で片付いたのも手帳のおかげだと思う。

なんだかんだいい事もあった。近県に一泊銭湯巡りしたのも楽しかった。いつか書こう。住んでいる地域がまるっとわかってしまうから渋っているのだけど。

2月もきっとこんな感じ。2月の公開映画が豊作らしいので楽しみです。

@kitasz
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