「うーん……なんか違うな……」
百々人がレッスン室で一人、その場に座り込んで息を吐く。
暫くにらめっこしていた鏡に映る顔には、疲れが見え始めていた。
(どうしよう。なかなかしっくりこない。みんなに、ぴぃちゃんに認めて貰えなかったら──)
厭な想像が脳裏を過ぎって、思わず立ち上がる。
こんなところで休憩してる場合ではないのだ、と床に転がる台本に手を伸ばした。
「花園、お疲れ!」
ぽん、と百々人の肩に手が置かれる。
それに顔を上げると、龍の姿があった。
「あ、木村さん。お疲れ様です。今日は仕事があったはずじゃ……」
「そうそう、合同練習参加できなかったからさ。遅れた分を取り戻すぞ! ってことでレッスン室の様子見たら花園が居たから」
今日はどうだった? と龍が小首を傾げる。
その様子に、百々人は曖昧に笑った。
「今日は御手洗さんがアクロバットのレクチャーをしてくれましたよ。みんな基礎がしっかりしてるからすぐモノにしてて流石だったなぁ。僕なんか、ついていくので精一杯で」
「花園も体の動かし方とか筋はいいから。それに、ついていけてるだけ充分凄いと思うぜ。知ってるか? 英雄さんて、最初バク転とか出来なかったんだけどさ……」
懐かしそうに、龍がくすくすと笑う。
龍の様子に、百々人も目を細めた。
「それで、悩んでたのはその事か?」
「え?」
「ああ、いやほら。部屋入る前にちらっと中見た感じ、何か躓いてるのかなーなんて思ったからさ。良かったら話してくれよ、俺、一応『族長』なんだし」
ほら、座って、と龍は胡座をかくと、床をポンポンと叩く。
それを見て、おずおずと百々人は再び龍の前に座り直した。
「えっと……アクションもそうなんですけど、演技も不安で。『怒る』とか『許さない』とか、読み合わせの時から説得力っていうか、凄みって言うか、そういうのが出ないなーって……。表現力が無いから、なんですけど」
「確かに、花園が怒ったりしてるイメージ無いかもな。懐かしいよ、俺も昔、映画でギャングの役をやる時になかなか上手くいかなかったんだ。英雄さんに『お人好しが滲み出てる』なんて言われてさ」
「そう、なんですか……? 木村さん、縁さんを凄く上手に表現してるから、そんな風には見えないです。その時はどうしたんですか?」
百々人の問いに、龍は気恥ずかしそうに後頭部を掻いた。
「その時、自然と怒っちゃったんだ。英雄さんや誠司さんに演技が出来ない奴だって強く当たられちゃって。こんなに頑張ってるのに、なんで認めてくれないんだろう、見返してやるぞって思ったらなんかムカついてきちゃってさ。それも二人なりの気遣いだったんだけど……」
恥ずかしいから秘密な、と龍が人差し指を立てて自身の唇に当てる。
百々人も、周囲に人はいないのに、無言で小さく頷いた。
「俺も、花園も、縁も、烈も。『なんで俺だけ』って思ったり、理不尽に感じることってあると思う。でも、それを『仕方ないか』って済まさずに、ちゃんと怒ることだって自分を大切にすることだと思うし、それって、周りの人への優しさだと思うんだ」
「優しさ……ですか」
「ほら、俺ってツイてないこと多いだろ? でもそれで俺がいつも謝ってばっかりいるとさ、英雄さんや誠司さんが、俺より悲しそうな顔をする時があるんだ。不運だからって諦めて、周りにそんな顔させたら意味ないだろ?」
「……強いなあ、木村さんは」
百々人の呟きに「偉そうなこと言いながら、俺もまだ落ち込みっぱなしだけどな」と龍が笑う。
「だから、明日から一緒に『演技で認めてもらおう』じゃなくて『演技で見返してやろう!』って気持ちで頑張ろうぜ! 烈の為にもさ」
「烈のため……。はい、そうですね」
「てことで、ほら、今日は帰ろうぜ」
よいしょ、と龍が立ち上がるのを百々人が見上げる。
座ったままの百々人を、龍は不思議そうな顔で見つめた。
「あ、えっと……僕はもう少し、今、木村さんに貰ったアドバイスを元に練習していこうかなって」
「だ、ダメダメ! 花園、時間! 学生は帰る時間だぞ。帰り道に補導なんかされたら、俺が英雄さんに怒られるだけじゃ済まないって」
龍の言葉でレッスン室の時計に百々人が目をやると、時刻は十時半を過ぎている。
「あれ、もうそんな時間なんだ。全然気が付かなかったな……」
「だからほら、折角だし一緒に駅まで帰ろうぜ。"烈"」
「……はい。すぐ帰りの支度をするので、少し待っててください。"縁さん"」
百々人が台本を手に取って立ち上がる。
レッスン室を出る足取りは、心做しか軽やかだった。