日記 眠る前に書き、起きてまた書いた

喜雨
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公開:2025/11/28

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悲しみがなければ生きていけない。深い悲しみが私の根底にあるらしい。悲しさを覚えていては好きなことも楽しめないのではと怖がっていたけれど、幸福感と両立することはできそうだ。

自分の人生の中には「悲しみ」に価値があったのだと思う。それを肯定すること、してくれる物事が必要だった。

だから、暗さと明るさは両立できる。絶望と希望も、共存することもある…のかもしれない?

それでしか、子供の頃から不安に苛まれ続けた私にとっては生きていく術がなかったともいえるかもしれない。

(これは、10月20日の日記*ともつながる)

*1020 朧げな意識で深夜に書いた日記。

一人の人間では抱えるに耐えない深い悲しみや苦しみはこの世界に存在する 空から雨が降るかのように、いつでも私たちのもとにやってくる、人生に傷を残していくこともある

だからその悲しみや寂しさや苦しみをちゃんと保管しておくための場所が、いつでも向き合えるための場所が、それを共有したいと思う人たちに共有するための場所や作品が、世界に必要だと思いますから

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人間関係、コミュニケーションの衝突で悩んだり悲しんでいる時、本当に人生だなと思う。

自分がいやに苛立っていると思ったら、自分の過ちをきっかけにひどく落ち込んで悲しくなる。苛立った分が返ってくる。そこで気持ちがひどく沈むのは、自分に立ち返って頭を切り替えるためな気もする。海の波が寄せて返す様に似ているような。

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もうみんな絶対に長所もあれば短所もあって(それは見る側の都合でもあると思う)、結局なにを大事にするか、長所をどう活かしてあげるかでしかないと思う。

コミュニケーションってなんて難しいんだろう。でも困難を経験するほど、その難しさに対して、落ち込んだりストレスを溜める度合いも軽くなってきている気がする。

ベテランの人でも怒られたりする。それはその人のミスでもあるのかもしれないけど、それだけ対人関係という難しいやりくりをこなしているってことなのか。


もっと絵を描かねば。

私は自分が思うよりもできることが多くて、事務仕事や家事もまあまあできるしありがたくも良い人間関係に恵まれてていて趣味もたくさんあるけれど、それでも絵を描くこと、ものを作ることをするべきだ、それならばもっと周りを幸せにできる気がする、私は誠実に生きられる、そして己を癒せる気がしている。