入院をした。
期間は9日間。腫瘍摘出にかかる開腹手術と予後の観察のために、どうしても必要な期間だということで、否も応もなかった。
私は、入院はこれで2度目なのだが、1度目は短期――それも、西日本豪雨災害のボランティアで拾ったらしい、カンピロバクターの緊急入院経験だけだったので、入院に対して「苦しみの中、ただ点滴を打たれ寝ていただけ」という印象しかなかった。回復後即退院だったのもあって、今回のように「助走、手術、経過観察」オールインワンの物々しい入院は、初めてのことだ。
もの珍しく感じたことや、得た気づきも多かったので、備忘がてら、ここに書き記しておくことにする。
1.行きたくなくとも病院に行くことの意義
医療従事者の友人が多い中、書くのが少しためらわれるが、私は病院が苦手だ。
もし病院苦手な人選手権があったなら、きっと地区予選くらいは勝ち抜けると思う(世の中の人が、好き好んで病院に行くわけない、という認識が、私を弱気にさせました。心意気としてはインターハイに行けると思っている)。
まず、医療ドラマを見ることができない。ニセモノだとわかっていても、手術シーンを見ると、手の力が入らなくなる。
注射は今でも苦手だ。とはいえいい歳の大人がいやだいやだとごねるのもみっともないので、必死で平静を装い、視線をこれでもかと逸らし、こぶしを握りしめて耐えている。なんでもないフリを貫きたいので、手のひらから力を抜くタイミングと自然さの演出には、かなり気を配っている(看護師さんにはきっとばれている)。
それから、なんといっても病院という建物そのものに入るのがつらい。これは、建物が大きければ大きいほどよくない。
消毒液の香りと、ニンゲンの生っぽい匂いが、人工的な空気循環の中で、緩慢に攪拌されている感じ。白くて明るく、外から切り離された万全の空調。そこに、親族の、見舞いにまとわりつく男尊女卑の記憶も相まって、かなり気分が暗くなる。
とはいえ、ささやかに虚弱なので、皮膚科と頭痛外来はサブスク登録状態で、毎月いやいや通っているし、幼少時眼下の先生から授かった「この子は将来絶対緑内障になる」という呪いのような予言を警戒し、適度に目の検査にも行く。歯科でのクリーニングは言わずもがなである。
これ以外にも、胃潰瘍や腹痛持ちで、毎週必ず腹痛にのたうち回っているのだが、これについては、滅多に病院に行かない。痛くてもビオフェルミン錠剤の瓶を握りしめて耐えている。なぜって、もう病院の定期通院でいっぱいいっぱいだから……というのは建前で、昔、おなかが痛すぎて気を失い倒れた時、近所の大きな胃腸科の先生に「自律神経失調だね」と整腸剤を渡されて終わったことを恨んでいる、というのがきっと本音だ。正直、治してもらえると思っていないのである。
と、いうことでこの度、病院嫌いが祟って、腫瘍の発見が遅れた。ついでに言えば、今の職場に異動となった折、手違いで人間ドックが一回飛んでしまったことも、多分関係している。
振り返ってみればここ一年は、数日に一度のペースで腹を痛めていた。おなかが1分と経たぬうちにみるみる膨れ上がり、はち切れんばかりになると、もれなく腹痛のスタートである。言葉を失うほど痛いのだが、いつかは収まるので、変な汗をかきながら、とにかく耐える。発症間隔が明らかに短くなっていたので、もう少し警戒すべきだったのだが、症状自体ははじめてではないので軽視していたのが、今思えばよくなかった。
違和感を覚えたのは、その腹痛と同時に起こるようになった、腰の左側の痛みがきっかけだ。
腹部が張るだけでも痛いのに、腰までとなると、本当に耐えがたい。身体を丸めればいいのか、まっすぐにすればいいのかさえわからず、途方に暮れてしまう。
これと時を同じくして、生理前から数日、全身にしびれが走りはじめた。低刺激の電流が、座っていても立っていてもピリピリと流れているような感じがある。
何科か迷った挙句、産婦人科の門を叩いた。腰の痛みは今までも経験済みだが、しびれは人生初の大珍事だった、というのが決め手として大きい。生理の終わりとともにしびれも収まったので、これは何かあるに違いない、ついでに腹痛時の腰痛も収まるといいな、それくらいの心持だった。
検査の結果、卵巣の上部に大きな腫瘍らしきものがある、とのこと。昨日今日できたサイズではないため、いつから病院に行っていないのかと、遠慮がちな質問を受けた。とてもやわらかな声音であったが、ちいさな非難も含まれていたように思われ、すみません、病院嫌いなもので……へどもどしながら、謝る。管理職の初期設定漏れでドッグが飛んだので、というのっぴきならない事情も説明しておけばよかった。と今にして思うが、すぐさま、ここから取るべき手続きの話が始まった。しかしまさか、意を決して門を叩いた初診の病院で、紹介状だけ持ち帰らされる羽目になろうとは……
紹介された病院で精密検査を受けた結果、この腫瘍は「間違えなく15cm越え」という、それなりの大きさに育っており、どの器官から生じているのかは、腹を開けてみないとわからない、厄介者となっていた。大きく育ちすぎているので、色々な器官に当たり、結果として腰痛をはじめとした症状が出ているのだろう、とのこと。
実は、ことのはじまりが産婦人科だったため、執刀も産婦人科の先生だったわけだが、手術によってはじめて、筋腫が腹膜から生えていることがわかった、というのも、面白いオチまでついた。専門外の手術をさせてごめんなさい。もっと早く内科に行っていればこうはならなかっただろうに。でもこうなったのは、近所の大きな胃腸科が植え付けたトラウマのせいです。これは譲れません。
2.高額医療費と医療保険
改めて書くまでもないが、高額療養費制度とは「医療機関や薬局の窓口で支払った額が、ひと月で上限額を超えた場合に、その超えた金額を支給する制度」のことを言う。
そう、「ひと月」ーーこの「ひと月」とは、「月の初めから終わりまで」を指す。
私の入院は、7月下旬から8月上旬。つまり、医療費の上限額は、入院途中で一度リセットされることとなり、乱暴に言えば、医療費を2倍支払うハメになるのであった。
これが、結構、高い。
上限額は、収入区分により決められるので、国からしてみれば「お前の収入なら払えてしかるべき額」なのだろう。が、この事実と金額概算を、入院日当日の受付で告げられて、ちょっと動揺した程度には、高かった。貯蓄がない人は、どうやって支払うのだろう、と心配になったくらいだ。
仮に、この月跨ぎの損失について知っていたとしても、基本的に、入院スケジュールの裁量は、患者にはない。しかも、手術や入院を必要とする患者が「高額医療費で損をするので月を跨がないでください!」などと騒ぐゆとりがあるとも思えないので、入院のタイミングによって金額が変動する、というのは、本当に恐ろしい話である。
さて、この恐ろしく高い医療費だが、医療保険のおかげでとりあえず、事なきを得ている。
カンピロバクターで入院した折、総合医療型の保険の金額だけでは心許なく、そっと入っていた県民共済。これが大正解だったのだ。入院保障2型と、医療1型特約。ありがとう心配性の私。
県民共済は掛け捨てだが、そのぶん、複数のプランに入っても値段が張らない。決算で出た余剰金については、割戻金として加入者に分配されるのもうれしい。こうして書くと県民共済の回し者みたいだが、従来の保険よりも圧倒的に私を金銭面で支えてくれたことに感謝しかないので、やっぱり繰り返し書いておきたい。
ありがとう、県民共済。
3.手術を境に揺れるやさしさの天秤
MRIでほんのり影が見つかったことにより、当初、私の腫瘍は、境界悪性だと言われていた。
手術中の迅速検査で境界悪性ないしは悪性が確定した場合、大網膜と卵巣の切除は確定となる。若いから、子宮については詳細検査の結果を踏まえて要相談。最悪、再手術になるかもしれない。そう告げられた時の私の感想は「そっか」であった。もう少し丁寧に書いたとして「再手術で子宮を切除なんてなったら、更年期障害が心配だな、でもしゃーないな」、である(ちなみに、卵巣を両方取るとなるとホルモン治療が必要になるが、子宮は摘出したとしても更年期障害にはならないのだそうだ。ややこしいな)。
精密検査は飛び石日程だったので、自分の体に起きていることについて、それなりに調べる時間がある。体調不良に係る検索結果には、恐ろしいことしか書かれていないので、憂鬱な気持ちになる瞬間もあるにはあった。だがまぁ、どうあれ摘出手術は、切ればいったん終わる。その事実が、私の心を明るくしてくれた。
だから、精密検査を経ての手術説明には、かなり心にゆとりがあった。
腹を開けてみないとわからない腫瘍の是非よりも、大網膜とは何のための器官なのかの方が気になったし、入院日までに買ってこいと言われた腹帯は、どのようなものを買えばいいのか、サイトを見せて質問などした(何せ種類がそれなりにある)。
そのへらへらとした態度がどうやら虚勢に見えたらしく、診察室を出た瞬間、追いかけるように飛び出してきた年配の看護師さんに、不安はないかと繰り返し聞かれたのには、少し参った。もう少し殊勝な顔をしておけばよかったと、今にして思う。
手術前日も、かわるがわる顔を出してくれる看護師さんが、都度不安はないかと聞きに来る。贅沢な言い分だが、「ありません」「大丈夫です」と答えることそのものに疲れた。「不安だから手術は受けたくないです!家に帰して!」と答えたとして、どうにかなることでもなかろうに。不安に寄り添うことがお仕事だ、ということくらいは素人でもわかるので、無碍にもしづらく、落としどころが難しい。
とにかく手術前はそんな調子だったので、手術後もさぞちやほやされるのだろうと思っていた。これがとんだ思い違いだった。今度は打って変わって、スパルタなのである。
腸閉塞のおそれがあるため、手術後は早々に動き出さなければならない。それは、入院説明の際、話を聞いていたので、頭では理解していた。だが、いくら痛み止めを背中から流し入れているとして、仮にも腹を切っている身。少し動くと、とにかく痛いのである。ひっきょう、血栓ができないように足をもぞもぞ動かしながら、仰向けで天井を見つめ続けるしかない。
だが、看護師さんはこの怠惰を許してくれない。
寝返りを打ちましょうとひたすら声をかけられる。目の前で寝返りを打つまで、ベッドのそばを離れない人までいる。腹を切って12時間しか経っていないのにまじか。仕方ないので、歯を食いしばり、ベッドの柵をつかんで、腕力で体をねじる。無理。腹の傷が裂けそう。しかし看護師さんはひとつ頷くと、「繰り返してくださいね」と言って去っていくのだった。
術後は、おなかの緩慢な復調も、決して許してもらえない。何も動きがないとわかると、下剤がどんどん追加されていく。おかしい。それこそ手術前、ポカリスエットのような下剤を1時間かけて飲まされ、術後まる1日も点滴生活で、腸内は空っぽのはずなのに……
ついで、手術から24時間後に出されはじめたごはんも、残すと悲しそうな顔をするので「おいしくないという理由が一番大きい、贅沢残しの一面もあります」とは死んでも言えない(※とはいえ術後数日は、自動投入される痛み止めの副作用で、好む好まざるに関わらず、食べられたものではなかった)。
ここで毎度思うのである。あの、手術前の「どんな不安も受け止めます」といわんばかりの、寄り添いモードはいったいどこへ????
もちろんこれも、回復介助業務を遂行しているだけだとわかっている。わかっているのだが、温度差がすごくて風邪をひきそうだ。病み上がりの恋人に甲斐甲斐しく世話をするタイプの二次創作をさんざん読んで育っている弊害かもしれない。ちょっと現実に夢を見ていた感はいなめない。顔を見るたび「動いていますか?」と訊かれるこの気持ち。止まることを許されない。まるで『赤い繭』の「おれ」である。
ただ、このスパルタにより「しおしおしても治らない」という気持ちが芽生え、強い気持ちで院内を動き回ったおかげか、治りが早かったように思う。はじめのうちは徘徊の体で、十字の廊下を、ひと昔前のPPGに出てくる町の人のようにうろつき、あらゆる管が取れてからは、1階から5階までの病棟階段を、日に数往復する。こうして書くとたいしたことのない運動だが、これが結構堪える。何せ腹を縦に15cm切っているので……背中から流し入れていた痛み止めが吐き気を誘引しているとのことで、1時間の流量を最小値に抑え、ロキソプロフェンも飲み控えていた中、よく頑張ったものだ。
結果として、看護師さんの掌の上で転がされていただけとも言える。看護と奥深いものである。
4.おそろしく旨いビスコ
すでに一度書いたが、もう一度書く。
とにかくごはんがおいしくない。
塩分を控えめにしているだとか、消化に良いよう柔らかく煮ているだとか、味のクオリティを上げられない理由は、いやというほどわかっている。
だが、理屈ではないのだ。とにかくごはんがまずい。
献立に「きんぴらごぼう」と書かれていた日の昼、ごぼうがやわやわに茹でられ、味付けが薄く抑えられた小鉢が出された。これをきんぴらごぼうと呼称してもよいのか、1日中悩んだ。圧倒的に足りない食感、存在しない甘辛さ――いやこれ絶対きんぴらごぼうとちゃうやろ。
こうなると、未知の食べ物――たとえば次の日に出た「ラビゴットソース」なるものが、一般的なラビゴットソースと同じかどうかすら、怪しくなってくる。
焼いただけの食べ物が恋しい。「退院したらおいしいものを送るよ」と気遣ってくれた友人に、「今食べたいのは目玉焼きとソーセージだ」とぐずった。求めているのは塩と醤油、そして食感なのであった。
さて、手術から3日経ち、身体中の管という管がすべて抜かれると、院内散策が解禁になった。これにより、他のフロアに移動することが可能となる。
息抜きがてら、最初に足を運んだのは、受付フロアにあるローソンだ。幸いなことに、食事制限は何もかかっていない。ならばおやつを食ろうてやろうではないか。そう思い立って、自動ドアをくぐった――はずだったのだが、商品の陳列棚を見るなり、急に気持ちが萎えた。
きれいに面出しされた商品、そのカラフルさが、暴力的に視覚を殴ってくるのである。特にグミやキャンディのあたりの攻撃力はすごい。赤や緑の、明度の高い色たちが、シュワッと感や酸っぱさを、どこすこ訴えてくる。
ゆっくりしか歩けないので、俯きがちに菓子レーンを通り抜ける時の不甲斐なさよ。おれは弱い生き物に成り下がってしまった。とは言え、どうしてもお菓子を諦めきれず振り向いたところ、棚の端のちいさな棚に目が向いた。視線の高さに配置されていたのが、他でもないビスコである。
発酵バター味のそれは、オレンジのパッケージに、「たたかうチカラになる!」という赤い字が踊る。天面には「おいしくてつよくなる!」
今食べるべきおやつはこれしかない。天啓のようなものを受けレジに向かい、病室に戻った。封を切ると、バターの香りがやさしく鼻を抜ける。この時点でもう美味しい。勝ち確である。ひとくち齧ると、サクサクと口の中で解け、塩気がさらりと立ち上がり、それから、もったりした甘さが後を引く。えーっ美味しい。もともと好きなお菓子ではあったけれど、こんなに美味しいものだったっけ???? 一生推す。
あまり良くなかった胃にもさしたるダメージを残さず、個包装された5枚のビスコは、瞬く間に消えた。5枚というのが、また丁度良かった。1日1パック、ゆっくり食べて、ひとこごちをつく。強くなれたかはわからないが、食べることの嬉しさを久しぶりに味わえた気がする。
***
他、エピソードはまだまだあるが、書くのにちょっと飽きてきた。もう6000字も書いているのにネタが尽きないなんてウソでしょ。
でも、このネタに溢れている入院生活が楽しくて、このブログを書いているわけではない。書きながら終始思っていたのは、入院はしないに越したことはないな、ということだった。9日でもしんどい。しないに越したことはない。とにかくこれに尽きる。
ということで、これを御覧になった方々、くれぐれもお身体にはお気をつけください。あとやむを得ず入院することになった折には、延長コードがあるととても便利です。