空っぽを見続けて

kiyou
·

正月に英語の発音アプリ「エルサ」に課金して、毎日発音練習をしている。今年は英語を上達させたい。今年の夏、タイに行くことになった。私の英語は5歳児レベルで、タイ語は2歳児レベル。タイ語はがんばってもせいぜいだが、せめて英語はそれなりにしておきたい。異国の地で困らないために。

エルサには会話できるAIが入っていて、こちらが話した内容に対して臨機応変に返答してくれる。すごい。アウトプットが一番効果的だし、相手がAIなら恥ずかしさも遠慮もなく気軽に練習できる。さて、何を話そうか。「…」ああ、全く話題が出てこない。そもそものそもで、相手が人間だろうとAIだろうと、他者と話したいことがそんなにない。英語を学ぶ以前に、コミュ力をどうにかしたほうが良いことに気がついてしまった。誰かと分かち合いたいことがないなら、あなたは言語を習得したところで満足できないのだ。

たまに写真を撮って、インスタに載せている。趣味です、趣味。ちょっと前に載せた写真に海外の人からのいいねがちょくちょくつくようになった。(まあ商売アカだろうけど、)調子にのって英語のキャプションもつけようと思い、載せてた文書をGoogle翻訳で英語にする。確認のためにもう一度日本語に戻してみる。出てきた文章はもとのそれよりよっぽどきれいで、おまえ日本語上手いな、と思った。わたしの日本語は、何歳児レベルだろうか。

新しく何かを始めると、自分の空っぽさに気づいてしまう。わたしならこのくらい出来るはず、と思っていた見積もりが、相当甘かったことを突きつけられる。話そうとしても言葉が出てこない。書こうとしても文章に出来ない。初めの一歩を踏み出さず、お布団の中でぬくぬくと、こうなりたいな〜と想像している時間がいちばん幸せなのかもしれない。始めてしまったらさいご、自分の未熟を直視し続ける苦しさか、諦める虚しさか、どちらかを選び続けるしかない。それでも折にふれて何かを始めてしまう。時間が経てばその苦しみを「忘れる」というオプションがついているから。