諦めというか、「制限・制約・縛り」の方が適切かもしれない
人は何かを制限されるとクリエイティブになる
という話を人生で度々聞いてきた。僕もこれは共感あるし異論はない。
最近感じた事例として自分語りをする。最近なるべく脳内の思考の吐き出しがを心掛けているが、 自由フォーマット(という名のマークダウン)とslackのスレッドでは圧倒的に後者の方が書きやすいし出てくる。
自由フォーマットだといくらでもこだわる事ができるので、レイアウトやフォーマットに脳のリソースが取られがち。例えば
カテゴリ分けどうするか?
何階層にするか?
ラベルもつけるか?
他のリストとの関連は?
など。後でいくらでも調整は効くので __後でやれば良い話。__ ただ、エンジニアは経験で知っている。 その場でリファクタリングしなければ大抵は後でやらない。会議の議事録も同様。「鉄は熱いうちに打て」ではないが、その日中に清書しなければ単なるログとしか残らないし書く人のデフォルトフォーマットになりがち。
脱線したが、いわゆる構成にリソースを割くので本来やりたかった思考の吐き出しが不十分に終わってしまうのである。
一方で slack のスレッドの場合。ある程度マークダウンで書けることは書けるが、ネストは一階層のみ。こだわれるポイントは限られている。という事で、ある種の諦めがあるので「じゃあ割り切って書いてしまおう!」という気が起きる。結果として、吐き出される量は制限のある slack スレッドの方が多くなる(※もちろん人による)。また slack にはスタンプ機能もあるので各投稿にラベリングでき、視覚的にも見やすくなる点も大きい。
さらに、物理的なノートやホワイトボード、付箋などもより効果が高いだろう。僕の経験上ブレインストーミングする時などは顕著に差が出る。
上記の例は頭の中の出力だったが、他の物事にも同様のことが言えると感じていて、とにかく実行に移したかったり、数をこなしたいときはこだわりは捨てる方が効果が高いこともある。タイトル的にはネガティブな印象を与える「諦め」だが、物事を進めるときには役に立つこともあるなーと,あらためて思った。
ではでは(=゚ω゚)ノ