「っ、待たせて、っごめん……、っ」
ミッドタウンの入口、イルミネーションがキラキラと輝いている横の柱の前に立っていると、息を切らしてこちらに向かってくるスーツ姿の彼が、目が合って開口一番、申し訳なさそうな顔で謝罪を口にした。額にはじんわりと汗が浮かんでいる。
スーツの上に着ている冬用のコートの裾が、彼が動く度ひらりと揺れた。普段キッチリと巻かれている紺色と黒色が交互に編まれた細身の長いマフラーが、珍しく乱雑に首にかけられていた。
「っ、社を出ようとしたら、っ……電話が、っ来てしまって、っ……」
彼と私の距離が、ぐっと近くなった。
息を整えながら、彼が私の方へ身体を傾けたからだ。
冬の冷たい空気が、和らいだ気がした。どこか懐かしい石鹸と私の好きな柔軟剤の香りが鼻に届く。彼は香水を好まない。なので、今届いているのは彼自身の香りだ。優しくて、清潔感があって、誠実で、あたたかい。
何度か深く息を吐き出して、ようやく呼吸が整った彼が改めて私の顔を見た。男らしさを感じる凛々しい眉が柔らかくなった。
「中で待っててくれて良かったのに……寒かっただろ?」
そう言いながら、彼が自分のマフラーを外して私の首にかけた。長さのあるそれは巻かれても私の胸辺りまで垂れ下がっている。
自分の時とは勝手が違ったのか。その様子を見た彼が両方の裾を持ち、ぐるぐると丁寧に私の首元に巻き付ける。質の良いカシミアで出来たマフラーは私の首の後ろで軽く結ばれ、口元は半分以上彼のマフラーに埋まってしまった。
「……これ、喋りずらいです」
「映画館に入るまで我慢してくれ。風邪を引かれたら困るから」
「……大袈裟ですって」
口を開ける度、ふわふわした布が唇の表面を擽ってくる。その感触がこそばゆくて笑いながら軽口を言えば、彼は私の手に持っていたバックをさらりと自分の手に持ち替え、空いてる手を重ねてから館内に足を進めた。
「レイトショー、まだ間に合うか?」
「はい。あと……まだ四十分くらいあるので」
「良かった……だがそれだと食事するには微妙な時間だな……。少しだけど、どこか行きたい場所はあるか?」
おずおずと繋いだ指先を絡めていると、隣を歩く彼が問いかけてきた。そうですね、と考えていた所でふと向こうにチョコレート専門店が見えた。よく見たらチョコレートドリンクも数多く取り扱っている様だった。
「……黒乃さん、」
「ん?」
その店に視線を向けたまま彼の名前を呼ぶと、身体ごと私の方を向いた彼が優しく微笑んで首を傾げた。
キリッとした表情も好きだが、自分だけしか知らないこの甘い顔も凄く好きだ。
こちらの言葉を、急かすこと無く待ってくれている佇まいと表情に胸をときめかせながら、私は口を開く。
「……あそこの、ホットチョコレート飲みたいです。でも、……あ、甘すぎると思うので、……あと、映画館でポップコーンも食べたいから、……あれは半分こしたい、です」
変に緊張して、思わずうわずった声でそう告げると、私の言葉を受け止めてくれた彼は、
「分かった。その、申し訳ないんだが俺はあの店のを飲んだ事ないんだ。だから、叶希ちゃんの好きなドリンクを選んでくれ。それを半分こしよう」
そう、優しく微笑んで返してくれた。繋いでいる手をぎゅっと握り直され、店まで同じ速度で歩いていく。
ぐるぐるに巻いてもらったマフラーも、繋いでいる手も触れ合っている指先も、全部が身体を甘く火照らせていて、こんな状態で熱くて甘い飲み物を飲んでしまったら、私はどうなってしまうのだろうか。
そんな嬉しくて恥ずかしい悩みを頭の片隅で抱えつつ、それでもこの熱は離したくないと優しく見つめてくる彼を見上げながら、私も微笑んだのだ。