「手伝おうか?」
ノックの返事をする前に、そいつは俺の部屋の扉を開けてそう言った。
「アンタ、返事する前に入ってくるな」
「え、あ、そっか、ごめんなさい。えっと、やりなおすね」
床に座ったまま不法侵入してきた男を睨むと、そいつはなんとも気の抜ける顔で笑って、俺の部屋に踏み出した足を扉の前まで下げた。そして、ぴしりと姿勢を正してその場に立ち、「二瓶律さん。お部屋に入ってもいいですか?」と、わざとらしい口調で問いかけてくる。
「…………入ってもいいけど、荷物には触るな。テーブルにも触るな、本棚にも」
「えぇ? それじゃ何も出来ないよ」
「しなくて良い。アンタが触ると荷造りどころじゃなくなる」
「そんな事ないのに……っ、うわっ!」
男の申し出を、ため息混じりで承諾するとそいつは元気な犬よろしく、パタパタとしっぽを振りながら部屋に入ってきた。
クラッシャーな男のために、そして己のために続けて伝えた忠告は男が部屋に入った瞬間無惨に散った。俺が床に畳んでまとめていた服に、男の足が引っかかったのだ。
「っ、かず……っ!」
男の身体が揺らめいて、床に倒れそうになる。俺は慌てて男の名前を呼んだ。なんとか腕を伸ばして支えようとしたが───あと数センチ、間に合わなかった。
「っ……っっ!!」
見上げると、男が俺に被さるように倒れ込んでいる最中だった。あ、避けられない。俺は衝撃に備えて、ぎゅっと目を閉じた。真っ暗になった視界の向こう側でガタン、バタン、と物と人がぶつかる音が響く。
ぎゅううと目を閉じながら来るであろう衝撃を待つも、それはいっこうに訪れなかった。
「…………?」
恐る恐る、目を開いた。ぼんやりと影のかかった視界を慣らすため、数回瞬きをする。ようやく慣れてきて、目の前を見ればそこには俺の顔の横に右手を、俺の後頭部を抱えるようにして左腕を床についた白鳥一樹が眉を寄せて目を閉じていた。
「……っ、ちょ、……アンタなにして……っ」
予想していなかった光景と状況に慌てて声をかけた。よく見れば、一樹の背中には本棚に置いていたぬいぐるみや時計が乗っかっている。床にも、本がいくつか落ちている。先程の物音はこれだったのかと合点がいった。
「っ……はー……びっくりしたぁ。律、大丈夫? 痛くない?」
「……っ、痛くって……」
「ごめんね。服に引っかかって転んじゃって……ビックリしたよね」
いつも通り良く通る甘い声で、一樹が聞いてくる。ゆっくりと自分の身体を起き上がらせてから、俺の腕を優しく持ち上げて床に座らせた。
「……ああ、ごめん。律の髪の毛、クシャクシャにしちゃった……。ちょっと待ってね、今直すから……」
「……」
眉を下げた一樹が俺の髪に手を伸ばし、倒れた衝撃で乱れた髪を整え始める。至近距離にある男の顔は引いてしまうくらい綺麗だった。
「……、一樹」
「ん? なあに?」
髪に触れる男に身を任せながら、俺は静かに名前を呼んだ。俺の声に一樹がにこりと笑って首を傾げる。俺はそんな男の柔らかくて真っ白な頬を、そっと両手で覆った。
「っ、り、……律? どうし……っいたっ! いたたたたっ!!」
「っっアンタはっっ!! 言ったそばから人の部屋で……っ!!」
「ごめ、っごめんなさいっ!!」
「謝ってすむならおまわりさんはいらないんだよっっ!!」
そのまま、包んでいた両手で思いっきり左右の頬を抓ってやった。痛いと喚く声を無視して、更に抓る。一歩部屋に入るだけでこんなめちゃめちゃな状態にするって、変な才能でもあるんじゃないか。おかげで畳んでいた服も、本棚も、床もグチャグチャだ。
「はー……痛かったぁ……」
「アンタ、もう部屋から出てけ。そして金輪際、一生この部屋に入るな」
「えっ!? やだ!」
頬から指を離して散らかった服達を回収していると、後ろから弱々しい声が聞こえた。ちらりとそちらを見れば、一樹が赤くなった頬を摩っていた。その様子を一瞥して、俺は服をまとめながら言い放った。
俺の言葉にやたやだと喚く男の声を背中に聞きながら、俺は絶対に今日中に荷造りは終わらないと深いため息を吐くのだった。(終)