「叶希、こっち」
「……」
黒いサングラスをかけた男が、俺に向かって手を上げた。その姿に小さく溜息を付き、男の座る席へと向かう。竹芝にあるインターコンチネンタルに来るよう連絡が来たのは、昨晩だった。
『一人予約出来なかったから俺と叶希の二人席で取ったわ』
男からのメッセージには、その一文とこのホテルで開催されているアフタヌーンティーのURLが付いていた。ここ行けるか? とか、明日空いてるか? とかじゃなく、勝手に予定を組まされた事に腹が立ったが、これでも自分のボスだ。逆らう事は出来ない。『分かりました』とだけ返事をして、俺はスマホを投げた。
「……」
────ボスだが、そこに尊敬や好意は微塵もない。自分の愛する人の大切な人だから、従っているだけだ。
(……大切な人……)
思い至った単語に、腹が立った。
俺の世界はあの人だけで、あの人以外いらないし必要がない。でも、あの人にとっては、俺以外にも世界があって、大切なものがある。守りたいものも、従いたい人もいる。その現実が、許せない。
(……行きたくねぇ……)
ただでさえ、会うだけで苛立ちが増すのに、こんな気持ちで会ったら自分が何をするか分からない。腹が煮えくりかえりそうになりながら、俺はキツく目を閉じた。
「────お待たせしました。こちら、ストロベリーと桜のアフタヌーンティーセットでございます。飲み物はフリーになっておりますので、そちらのメニューからご注文ください」
「ありがとうございます」
目が覚めても結局憂鬱と苛立ちは晴れず、最悪な気分のまま俺は待ち合わせ場所に来た。
席に座るとボスこと茜さんが店員を呼んだ。男二人、どうみてもカタギに見えない俺達の空気に、呼ばれた店員は一瞬身体を強張らせていた。
すぐに料理が運ばれて来た。三段のプレートの上には、一口サイズのケーキやサンドイッチ、良く分らないデザートがいくつも乗っている。
「ん、アイスコーヒー」
「……ありがとうございます」
サングラスを外した茜さんは、オールバックに流した髪にサングラスを引っ掛けて乗せ、運ばれて来たアイスコーヒーを俺の前に置いた。茜さんの前には、全く似合わない薔薇の花びらが浮かんでいる飲み物が置かれている。
「……俺、アフタヌーンティーのルール知らないですよ。これ、食う順番とかありますか」
「特にねぇな。食いたいもん食えよ」
「……分かりました」
もう一度こっそり息を吐いて、プリンやらマカロンが乗ってる皿に手を伸ばす。二種類あるマカロンの一つはピンク色をしていて、苺味だった。
甘酸っぱい味が広がる。マカロンを噛みながら(これ、黒乃さん好きそう)と俺はここに居ない愛する人を浮かべながら感想を抱いた。
「黒乃、これすげー好きそう」
そう思うと、鬱々とした気分が少し軽くなった。ついで、白いマカロンを口に運んだ瞬間、目の前で苺の乗ったプリンを食べていた茜さんが言った。
「…………」
その声に、ぴたりと手を止め、茜さんを見つめた。目が合った茜さんはニヤリと口端を上げて、続けた。
「黒乃、“昔っから”甘いの好きだから。ここも誘おうとしたんだけど、あいつこういう場所は浮くから店に迷惑掛かるって断るんだよな。だから、今日叶希と来れてすげー嬉しい」
「…………それは、どうも、」
────煽られているのは、分かっている。この誘いに乗ったら負けな事も。わざわざ俺の地雷を踏む言葉を選んで告げてくるその態度に、頭の芯が冷えていくのを感じた。
抑揚も、感情も無い言葉で礼を告げ、味のしなくなったマカロンを租借すると、俺の姿を愉しげに見つめる茜さんが長い脚を組みなおしながら「また来ようぜ。今度は、俺と黒乃と叶希の三人で」と目を細めて言った。(終)