ぽん、と音がした。目の前で顔を真っ青にして寝込んでいる恋人からだ。その音と共に、恋人の身体から淡い紫色の煙が上がった。
「っ……叶希くん……っ!?」
煙は、恋人の────叶希くんの身体を包み隠すようにして沸き上がり、寝室中に広がった。驚いて名前を呼ぶと、煙の向こうで「っう……っっ」と苦しそうな声が聞こえてきた。
「っ大丈夫か!? どこか痛むのか!?」
「っぅ……ァ、ッ……あぁ゛っ……」
聞いた事のない呻き声が、耳に届く。血の気が引いた。彼の身体を抱き寄せようと手を伸ばすも、煙が覆い隠していて全く見えなかった。声と、気配を頼りにどうにか叶希くんの腕を掴んだ。もう片方の腕で煙を払って霞んだ視界をクリアにしていく。掴んだ腕は、震えていた。
(ッ……叶希くん……)
カタカタと小刻みな震えが伝わってきて、身体の芯が冷えた。
サキュバスである叶希くんは、月に一度魔力を身体にため込みすぎて体調を崩してしまう。彼曰く、人間界で放出できる魔力には限りがあり、出し切れなかった魔力が身体の中に蓄積して、その蓄積されたエネルギーは人間界との波長が悪いらしく、このように寝込んでしまうのだ。
そして、ため込んだ魔力は叶希くんの体調や体形に多大な影響を及ぼす。ぐったりと寝込んでいる叶希くんの姿は、いつもより一回りほどふくよかだった。放出しきれず蓄積した魔力は『肉体』に変化し、持ち主の身体に────簡単な言葉で言うと、人間でいう脂肪や筋肉に変わり、当人の身体に体系として現れるのだ。
細い、というより細すぎる叶希くんの身体は、今は全体的にむっちりとしていた。いつも履いているレザーノショートズボンを履こうとすると太ももで突っかかってしまって着用できず、俺のパジャマを着ている状態だ。
本人はこの姿がショックらしいが(体系の変化に耐えきれず、暫く部屋から出てこないサキュバスもいるらしい)、俺としては健康的な恋人の姿も微笑ましくて好きだった。
魔力の消耗で効率が良いのは、当然性行為なのだが、肉付きの良くなった叶希くんとするのは、普段する時とはまた違う興奮があった。ふにふにとした普段よりも柔らかい肌。いつもはきゅっと締まった細い腰のラインが、下着を窮屈そうに食い込ませている姿。
抱き着いてくるときの、自分の腹に触れる下腹部のぬくもり。繋がった時の、肉厚な内腿。普段も、魔力のバグで変わってしまった体系も、全てが愛しい事は変わらない。だから今回も────寝込んでいるふくよかになった叶希くんを看病して、彼の体調が戻ったら様子を見て触れようと思っていたのに────全く、予想していなかった事に、なってしまった。
「っ……く、……のさ……っ、」
「っ叶希くん、大丈夫か? すぐに病院につれ、て……?」
少しでも不埒な事を考えていた自分を呪った。ようやく視界が晴れてきたタイミングで、叶希くんが俺の名前を呼ぶ。掠れた声に、胸が痛んだ。
俺は、ベッドに寝ている叶希くんに声をかけた。が、どうにも────様子がおかしい。
「「「黒乃さんっ」」」
「…………は、?」
クリアになった視界の先。
ベッドの上では相変わらず真っ青な顔をして寝込んでいる叶希くんと、その隣に、胸元だけ覆った黒いレザーベストと、揃いのデザインのレザーショートパンツを履いてゆらゆら尻尾を揺らして座っている────叶希くんが三人、いたのだ。
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「────分身?」
「はい。魔力バグるとあるんですよね。なんかもう、いったん分身して外にでちゃおう!ってのが」
「約三人分、身体から放出出来るんで楽なんですよ。召喚術ってだけでも結構な魔力使うんで、消費も早いし」
「今回結構辛かったんで、三人分で出てきました」
そう、さらりととんでもない事を言っているのは────三人の、叶希くんだった。全員が同じ格好と同じ顔で、ベッドに腰かけて寝込んでいる叶希くんの手を握っている俺を見て、伝えてくる。
「……じゃあ、その……君達(?)が出ていても、叶希くんには悪い影響はない、という事か?」
「「「ありませんっ!」」」
「……そうか…………、よかった……」
一番気になっていた事を問いかけると、三人は全員同じ表情で力強く頷いた。その言葉に、ほっと胸を撫でおろす。耳を澄ますと、叶希くんの呼吸が少しだけ穏やかになってる事に気が付いた。その姿に、笑みがこぼれた。
「ありがとう。……叶希くん、と呼んでいいのか分からないが……、君達が分身してくれたおかげで、叶希くんの辛さが軽減しているなら十分だ」
「……黒乃さん……」
改めて三人に向き合って礼を伝えると、そのうちの一人(叶希くん一号だ)がキラキラした目で俺を見つめてきた。ん? と首を傾げると────一瞬で移動して、俺の膝の上に乗ってきた。
「は?」
「……黒乃さん、ほんと優しいですね。俺が好きになるの、分かります」
「……??」
「まあ、分身なんで俺は俺なんですど、」
「何、を……っ、!?」
一号くんがなにか言い始める。意図が掴めずいると、いつの間にか俺の背後に別の叶希くん二号が座っていて、俺を後ろから抱きしめていた。
「そうそう。俺は俺だし、俺達は俺なんで」
「っ……ちょ、」
後ろから触れてくる手は、すす……と俺の胸元を服の上から撫でた。覚えのある触れ方に戸惑っていると、今度は────寝込んでる叶希くんの髪に触れているのとは反対の手を、三人目の叶希くん(三号だ)に掴まれて、手のひらに口付けられる。
「……でも、だからこそ、そういう優しいのとか……気持ちいいこととか、俺達にもしてほしくなっちゃうなぁって」
「っ……な……に、を……」
れ、と舌を出して掌を舐められてぞくりと背筋が震えた。目の色を変えて見つめてくる三人の叶希くんは、普段叶希くんが熱を求めている時と同じ表情を浮かべていて、俺は喉を鳴らした。
「ねぇ、黒乃さん」
正面に座っている叶希くんが、俺の下腹部に腰を押し付けてくる。じっと目を細めて見つめられ、吐息だけの声で名前を呼ばれた。
「「「────魔力消費するの、手伝ってもらえますか?」」」
そして、三人の叶希くんが同時に告げてきたのと、俺の唇が塞がれたのは同時だった。