※HPに載せているくろとき30daysより再掲載
「……ぴよじろ……けがしちゃった……」
大きな瞳に涙をいっぱいためて、声を震わせながら息子が言った。小さな両手の中で大切に抱えられているひよこのぬいぐるみが、くったりと息子の胸にももたれかかっている。
「怪我?」
「っ……っつ」
彼の隣で洗濯物を畳んでいた俺は、ちょうど手の中にあった黒乃さんのハンカチを畳む手を止めて息子の正面に座り直した。座っている俺と、立っている息子の視線が同じ高さになるように顔を少しかがめて、優しく問いかける。
俺の声にびくっと身体を震わせて、彼の瞳から涙がポロポロと溢れて柔らかい頬を伝い、床に落ちていった。
「りーつ、泣いてたらわかんないだろ。パパに教えて。ゆっくりでいいから」
「っぅっ、っ……っ」
律、と彼の名前を優しい声で呼びながら頭を撫でる。自分に似た緩いウェーブのかかった柔らかい毛が、手のひらに触れる。そこからしっとりとあたたかい息子の体温が伝わってきて、言葉では言い表せない幸福感が身体を包んだ。
涙を流してしゃくりあげる息子を撫でながら、ちらりと腕の中にあるぬいぐるみを見た。
あぁ、綿か……。
彼の一番の友達であるひよこのぬいぐるみ──ぴよじろうの右腕の根本、ぱっくりと避けたそこから白い綿が飛び出している。布と糸がギリギリくっついているだけの状態のぴよじろうはどこか寂しげで、大人の俺でもその痛々しい姿を見て胸が痛んだ。
彼の言葉通り〝怪我をしてしまった〟のだ。
「……っ、いっしょに、あそん、でて、」
「……うん」
「おててに、いとついてて、っ……とったら、っ……っ」
「……そっか。お手手についてる糸を取ってあげたら、ぴよじろうが怪我しちゃったのか」
「っ……ぅん……っ」
たどたどしく、一生懸命、ゆっくり丁寧に、真っ直ぐに。時間をかけて自分の言葉で説明をしてくれる息子を微笑みながら見つめる。
話しながらまた悲しくなってしまったらしい。ぎゅっと腕の中でぬいぐるみを抱きしめ、綿が飛び出している場所を手のひらで押さえている。その姿が可愛くて健気で、俺の口元が緩んでいく。
彼の言った言葉を繰り返すと、限界を超えたようで本格的に泣き始めてしまった。
優しくてまっすぐ良い子育った息子は、不測の事態に物凄く弱い。自分で快適な空間を作り上げることができる分、その軸が乱れてしまうととたんに困ってしまうのだ。
俺たちはそんな息子の、小さな身体で一生懸命生きている逞しさを心の底から尊敬している。
真面目なところ、黒乃さんに似たんだな。
頬を緩ませながら、夫そっくりな息子の艶やかな黒髪を撫でた。
柔らかさは自分から、美しい艶と色は彼から。顔立ちは黒乃さんに似ている。でも黒乃さんから言わせると、息子の顔立ちは俺に似ているらしい。
泣きじゃくる息子を抱えて、優しく抱きしめる。片方の手で俺に抱きついて涙を流す姿が、途方もなく愛しくて仕方ない。
「ぴよじろうは痛くないって言ってるから大丈夫だ。それよりも、律に泣かないでって言ってるぞ」
ぽんぽんと背中を撫でて、彼が今一番聞きたい言葉を口にする。怪我をさせた事を俺に怒られる(怒る予定なんてないのにな)事よりも、きっと彼が聞きたいのは大切な友達が辛い思いをしていないか、だ。
優しい心を持っている息子が、とても誇らしい。
俺の言葉にハッと顔を上げて、涙と鼻水で濡れた可愛い顔で見つめられる。
「怪我した所はパパが治してやる。だから、大丈夫だ」
大丈夫、ともう一度伝えて頭を撫でる。
俺の顔とぴよじろうの顔を交互に何度も見て、今度は悲しいからではなく安心感から泣き出した息子を、俺はぎゅうと抱きしめ直した。
膝の上に乗せて、よしよしと声をかけながら頭や背中を沢山撫でていく。
二人の間にいるぴよじろうの顔が腕の隙間から見えた。さっきよりも嬉しそうな表情をしている気がして、こちらまで嬉しくなる。
「ぱぱ、」
「ん? どうした」
涙混じりの息子の声に呼ばれて、目を合わせる。俺が首を傾げると、ほぅ、と息を吐いてゆっくり深呼吸をした息子が「ありがとう」と言って、笑った。
その言葉と笑顔に俺もつられて笑うと、息子の表情が更に明るくなった。とても嬉しそうに笑う息子を抱きしめていると、小さな手が俺の背中に回ってきた。
泣いたからか先程よりもしっとりした息子の体温が、服越しに伝わってくる。
俺は────俺たち二人のたからものの髪に顔を埋めて更に強く抱きしめた。そこはとてもあたたかくて、優しい匂いがした。