私淑という言葉

klov
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公開:2024/6/16

敬慕する人に直接教えを受けることはできないが、ひそかに尊敬し、模範として学ぶこと。教えを受けたことはないが、尊敬する人をひそかに師と仰ぐこと

だそうです。この言葉はTwitterで知った。なので10年以上前になる。言い換えればそれまでは知らなかった。インターネットが普及してよかったことの一つは、こういう「私淑」の対象となる人に何人も出会えたことだった。出会えたというと相互認識があるかのようだが、私淑なのであちらがこちらのことを知らなくてもいい。その人のすべてを師と仰がなくてもよい。ある分野においては、と限定してもよい。いや語義として本当に正しいのかどうかは分からないが、まあいいんじゃないかな。


もちろん、そういう人も時間が経てば変わってしまう。僕みたいに子供のこととゲームのことしかTwitterに書かなくなっちゃうとかね! それでもいい。そういうものだ。もとよりこちらの一方的な尊敬の念であり、極めて自分勝手なものだ。人にあり方を押し付けてはいけない。

そういう意味で、私淑というのはおそらく一種の信仰に近い。信仰というのは一方的だ。私淑は相手からのコンタクトを期待してはいけない。神からの祝福を祈るように、私淑もその恩恵は一方通行の尊敬の先にある。

@klov
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