(※初出:2023.5.4)
2Dを2回、4DXを1回の計3回観てとりあえず満足したので、この辺で感想をまとめておきます。書きたいことたくさんあるんだけどまずはやっぱりこれ。
山姥切国広は最高の刀でした。
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弱き人々の受ける仕打ちに心を痛め、立場や関係に囚われず相手の本質を見極め、信用できると一度決めればどんなに醜くとも主が大切にするものを守りその心に寄り添う。主が己の心を見失えば鋭く問い、止めるために走り出し、刃を振るう。そして主が期待してくれるなら心の鬼をも両断し、かの童子切と並ぶ活躍を果たす。
PC版「ONLINE」リリース日から山姥切国広に狂っている童子切信者の私は腰が抜けるかと思った。山姥切国広あまりにかっこいい。あの日あなたを選んだことを私は誇りに思います。
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彼がああいう役割ができたのは正しく「山姥切国広」だからだと感じました。 切ったものの属性が付与されるのが刀剣男士。彼が伊吹に示す態度は極めて「山姥」らしかった。
山姥切の逸話だけに注目すると山姥は単に赤子を喰らう鬼女ですけど、広く山姥……「山に住む女」とはどういうものかを見ると、ざっくりこんなものもあります。
社会に所属していられなくなった女(弱者)。酒呑童子とその一味がもろにそれ。
人を慈しみ育てる存在。特に親に虐げられた子供の養母となる昔話は多い。
美しく、よく出来た最良の妻。ただし離縁を言い渡すと鬼の姿を示して夫を喰らう。
闇落ちしたから人の心を喰らう伊吹に従う「山姥」になっちゃったんだーと見せかけて、虐げられる人々に共感を持って心を砕き、被虐待児である伊吹に寄り添い、伊吹のパートナーとなり、まがい物であろうとも健くんを育てようとした彼はどこまでも山姥の「正の面」を示していた。記憶を失おうとも綺麗であり続ける、さすが山姥切国広ですよ。
加えて山姥切は注文打、つまり特定個人のために造られた刀であるはず。ならば仮だろうと主たる伊吹にどこまでも寄り添い彼の心に応えようとするのは、それができるのは、当然なんですよ。
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さらに言えば、琴音も伊吹も山姥切国広の一側面だったように思います。
琴音ちゃんは制服のカラーリングが山姥切国広の戦装束と対照的。ノイズを恐れ耳を塞ぐも信頼できる友を得て「他の音を重ねてしまえば自分だけの音楽になる」と教えられる。これ、どう見ても写しとしての評価がつきまとうことに身を汚して覆い隠し、けれどソハヤノツルキに「お前だけの物語を作りな」と諭される山姥切国広と繋がってます。
そして他の人/刀とは違う彼女/彼は、だからこそ誰もが取りこぼす小さな声を聞き、彼らを討つのが歴史だという「正義」とは異なる理念で動き、何もわからずとも己が信じた友のために危険に立ち向かう。
琴音ちゃんが山姥切国広と重なる人間像だからこそ、山姥切国広の友たる三日月宗近は琴音に信を置いて行動できたんだろうな。なのであれは見方を変えれば三日月と山姥切国広のバディです(言い切る)。
伊吹くんはもっとわかりやすくて、絶望の闇に沈み己の心を見失っても胸に残る光を思い出せれば果敢に立ち向かって鬼をも斬れるのだというほぼまんまですね。
そもそもの話として、記憶を失おうと想いを奪われようと彼が気安く優しく「お前」と呼んで寄り添う相手なら彼が認めた存在というわけで、ただの「悪」なわけがなかった。
……羨ましい……私も「お前」と呼ばれる主になりたい……「ONLINE」で呼んでくれないかな、それとも既に呼ばれてるという脳内設定で本丸運営つっぱしっていいかな…………は半分くらい冗談として。
山姥切国広を預かる一本丸の主として、彼がいついかなる時も迷わずにいられるようその胸に光を灯し続けねばならないと改めて思わされる映画で、責任の重さに震える思いです。やはり構い倒さなくては……でも先にもちらと書いた通り、一度「これ」というものを得られればどこまでも真っ直ぐに進めるのが山姥切国広だということも示されているのがこの映画。彼は守ってあげなきゃいけない存在ではない、もっとずっと強い刀なんだよな。ならきっと大丈夫なんでしょう。かっこいいなぁ山姥切国広。これからもよろしくお願いいたします、なんて書きながら「ONLINE」の鍛刀画面を開いたら山姥切国広が出てわーかっこいい! かっこいいね山姥切国広だいすきー! 石田正宗でません。