今年は(も?)それなりに潜んでましたが、そんな状況下を掻い潜りお祝いくださった方々ありがとうございました。ご好意に感謝しているのは大前提で、それはそれとして私はこの日が苦手だと、今回はそういう記事です。
なんで苦手って、嬉しくないものを貰っても、楽しくないことをされても、喜ばないといけない、明るく振る舞わないといけない、「せっかく祝ってやった」ことに感謝しないといけない、一年で一番感情労働を強いられる日だったからです。平穏を手にしてから如何に苦痛だったか思い知り、以来この日を迎えるとストレスが蘇って緊張するという面倒なことになっております。
世の中は2000年前の外国人の誕生日(とされた日)の前日であることも知らず大盛りあがり。小さい頃にはおもちゃ屋さんの包装紙もクリスマス仕様のものしかなくなり、まるで赤の他人に誕生日を乗っ取られおこぼれとして祝われているような気分にもなったものです。場合によっては自分への誕生日プレゼントより人へのクリスマスプレゼントの方がかさんで差し引きマイナスになることも。
そんな私の事情はもちろんお構い無しで街は人で溢れかえっていて、どこに出かけても時間はかかるし疲れるし家族は不機嫌になるし私自身も苦痛だし、けれど歌い慣れた讃美歌が響くのも、いつになくキラキラした街も、どこの誰とも知れない人達が楽しそうにしている姿を見るのも嬉しい気持ちもあって、どちらかに割り切ることもできず、この日がすっかり苦手になりました。
端的に言ってしまえば「寂しい」なのだろうけど、寂しさを払拭できるような人間関係を築いてこなかった自業自得だし、今後も築けることはないでしょう。そう思うと今すぐどうこうということでもないのですが「さっさと死にたいなぁ」と湧いてくる考えをやり過ごすのに必死な日だったりもします。
けれど、見上げた空は真っ青に澄んでいて、低いところには白い雲がこんもりと満ちていて、高いところに輝く金色の陽光は眩しくも暖かくて。花は咲き、葉は赤かったりすっかり落ちていたり、そういうものを感じた時やっとほっとして、これが私に合った過ごし方なのかもしれません。なら周りに祝われてもまともに喜べなかったのも仕方ない。
結局のところ、幼い頃ひとり縛り付けられ放り出された中庭に、それでも空があり風があり緑があり小さなお社があって、ああなんだ、人のところになんて帰らなくてもいいじゃないか、帰りたくないなと思ったあの日から抜け出せないままでいるのでしょう。そんなことを考えた誕生日でした。
メリークリスマス。