お疲れ様でございました。体調がちょうど谷に落ちるタイミングと日程が重なることがほぼ確実だったのでどうなるかハラハラしていましたが、無事に現地で底を迎えることとなりました。まぁ行けたし『月影の鎖』小冊子とドラマCDも買えたので良いでしょう。まだ長文を見るのがきついので小冊子はお預けですが、ドラマCDは理也くんの自己有用感が低くて「わかるよその気持ち」ってなれて心地よかったです。でも「相手の判断を信じて身を委ねろ」という神楽坂さんの言い分に首肯するものもある。
しかし声優2人だけでこのレベルの話を回すの正直厳しいですね……。キャストを増やすのは予算の都合等で難しいことはお察しできるので、次があるならセリフと独白の間をもう少し広く取るなり独白にわかりやすいエフェクトをうっすらかけるなりして独白部分を際立ててほしいなと思いました。
で。なんかいただいてしまった。
PS:……また逢おう
手紙を出してないので(用意はしたけど内容に疑問が生じて引っ込めた)びっくりした。何してるんですかTAKUYOありがとうございます最強カード効く。古橋さんありがとうございますまたいつか!
ところで六男さん、ディストコご担当者様のにっこりは暗黒微笑とかサイコ的なものではないですよね大丈夫ですよね。喜んでいただけたなら何よりです。聴覚機能が若干悪い(あの賑やかさだと至近距離で話しかけられても言葉を拾いづらい)のでボイスが流れていることにも気づかず後日公式サイトのサンプルボイスを聴きましたが間宮くんは3が面白すぎてますます気になる木。
あの古橋さんはスタッフサイドの「また来てね!」を重篤対象に代弁させた“ちょっとした”サービスだろうと流そうとしたんですが、「逢おう」という語の選択に引っかかるものを覚えたので全体を見回したところ、
た っ た 七 字 五 音 で 搦 め 捕 っ て く る じ ゃ ん ……………………………………
と衝撃を覚えたのでその話でもします。まぁ七字で搦め捕られる気分になる私が重症というだけの自分語りなんですが。「私は君の感情のいずれにも関与していない」という悪魔の嗤い声を思い出した。あのセリフは別のゲームにおいて狂気の神が「しかし私は何もしていない、君が勝手に狂っただけだ」とか言っていたという話がいつも思い出されて好きです。恋も信仰も狂気の産物だよね(暴論)。
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人様宛のメッセージを云々するのはさすがに気が引けるので最低限に留めますが、「会」でなく「逢」の選択からただ顔を合わせるだけでなく情愛の応酬を伴っていることを示し、「来て」「待ってる」「見せて」など相手に行動を依頼するでなく「逢おう」って双方向な行動の意志共有提案ですよ。Iでもyouでもなくwe。私は英語の感性が養われていないので「suy eani ku=nukan rusuy.(スイ・エアニ・クヌカン・ルスイ)」じゃなくて「suy unukar=an ro.(スイ・ウヌカラン・ロ)」だ! となぜか唐突のアイヌ語経由で感動しました。
古橋さんは元々相手の行動を促すような言い回しは避ける傾向があります(たぶん立場上命令になってしまいやすいから)。なのでこういう言い方になるのはわかるんですが、それでもたとえば「また逢える日を愉しみにしているよ」と表現してもいいはずなんですよ。余白あるし。それをどシンプルに「逢おう」とだけ言うことでふたりで逢うという行為への純度100%の意志が示されていて好きですねはいとても好きです飾らないが故の美しさと強さこれぞ古橋旺一郎大好きです最高。
ここまでシンプルだと唯一の漢字である「逢」の字が際立って日本古典好きとしては自動的に「逢瀬」という言葉が思い出され、後朝の別れ際に囁かれた睦言の趣まで見出されてなんだこの艶。という完全なる自滅。
ついでに古典好きとしては五音で「逢」の字なら和歌が想起されます(古橋さんのお言葉はいつも一遍の詩のようでもあるので)。古語で「逢おう」は「逢はむ」となり、思い出したのがこちらの和歌。
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
(雑訳:流れが速く岩にせき止められる滝川は二筋に割れますが、その滝川のようにあなたと別れてもいずれまた逢おうと心から思っています)
好きな歌だーーーーーーーーーーーーーーー!?
とまぁこれも完全な自滅なんですが、寂しいと心が死んじゃうウサギみたいなところがあるお方なので冒頭の三点リーダーにこの和歌と同じくふたり別れることへの忸怩たる思いは余裕で想定されてすなわちあの七字五音にこの和歌を重ねることはあながちミスリードでもないと言えよう。古橋さんがんばれがんばれ。私は逢えた判定が出たらしいことに安堵しています。頑張って行って良かったね。
とまぁたった七字五音に鑑賞とも呼べない自分語りを書き連ねましたが、ふと気になってスペイン語の別れの挨拶を調べたらそのものずばり「また逢おう」という意味の「Nos vemos.」という言葉があると知りました。「わたしたち」が含意されているらしく、やっぱりweだ! しかも母語からの直訳としての「また逢おう」が成立するやったー! とはしゃぎました。その場合これまでの記述すべて無意味。まぁ受信機の反応記録なので問題ない。
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ここまで書いてみるとふとこの度制定された贈り物へのガイドライン制定が気になってきまして。
送付先や受け取れないものの明記は「ですよね」でしかなく、キャラクターからのお返事も今年いっぱいまでにしますよというのも「むしろ今までようやってくれました」なのですが。
……こう……2週連続めちゃめちゃ効いてしまった身としてはもうもらえなくなるのかと思うとしょんぼりするものもあり……六男さんに話を振られてみて直接応える機会がないってのも考えものだなとか……3月頃から「受信はしても応答するのはもうやだ!」となっていた者としては身につまされるものもあり……。
体調が回復してきたらXもここも書けるようになってきたし、合わせてゴリゴリに自分と向き合ってたら私は好きなものの話をしてないと死ぬということがわかって書くの再開できそうなので(これまでより数やペースは落ちるかもですが)、それを贄になんとか引き続きキャラからのお返事いただけないかな……いや一個人の感想ごときに会社の方針を左右する力などないのはよくわかってますが座して待つのも何だなと思い……おとなしく過ごすし来れなくても許すというか怒る気もないし(世の中赤いものに溢れてるのでむしろ来られたら気が気じゃなくて休めない)(?)全然共に歩むのでその代償にどうにかこうにか……年に一回に限るとかでも全然いいので……と書くだけ書いておきます。