密原誠丞さんお誕生日おめでとうございます。
未完成のまま放置されていた記事を発見しました。せっかくなので供養公開。たしか昨年の誕生日に公開するつもりで、このノリで他のキャラについても書くつもりだったんですけど生憎流れが来なかった。そして書きたかったこと、参考資料の内容も朧気になった今、その目標は頓挫したと言わざるを得ない。合掌。
そんなわけで、以下から本文です。
社会が小さく閉じた世界だった時代、成人儀礼に臨む少年は住まいから遠く離れた館に閉じ込められ、物理的に精神的に死ぬ思いをする経験を乗り越えて大人になった……という文化がありました。いわゆる「行きて帰りし物語」はそうした経験を象徴的に描いたものなのだそうです。
密原誠丞にとってスイクラ城はまさに「成人の館」でした。彼はまだ高校1年生。作中の舞台である1999年日本において成人は20歳からで、4年も早く「成人儀礼」に臨むことになった密原の早熟さを思わされます。あるいは、旧く成人儀礼が執り行われていた時代には15歳頃が成人年齢だったと思われるので、真っ当に成長したとも考えられるでしょうか。
儀礼という言葉が示す通り、本来の成人式は信仰と強く結びつけられたもので、神やら悪魔やら精霊やらは避けて通れないものでした。ですが現代っ子(と言ってももう四半世紀前)の密原はあくまで現実的に、冷静に取り組みます。
「これが事実だと思って行動していた方が賢いかなと思います」
悪魔を名乗る男から提示された試練は、一人の少女の欲を育てるというもの。密原はすぐに得意分野である恋愛にしぼり、あらゆるものを欺いて成果を出すべく勤しみます。この辺り、とても昔話とその主人公らしいなぁとしみじみしました。
昔話において主人公は置かれた状況の問題を解決するための素養として、狡猾さが必要なことがあります。たとえば「一寸法師」の古い話型では、一寸法師はお姫様に濡れ衣を着せることで結婚し、人並みの背丈を得るに至ります。
ずる賢く柘榴を騙し恋愛関係を構築しようとする密原は古き一寸法師の姿と重なります。が、先ほども書いたように密原はこの非日常的空間に、日常性を以て対峙している。彼のずる賢さは悪魔の試練を突破するに至らず、むしろ自分自身こそが柘榴に欺かれていたことを知って心はへし折られ、身体をも自ら傷つけています。
本来ならここでゲームオーバーですが彼は運よく、問題解決のためのもうひとつの素養を手に入れます。柘榴の援助です。
昔話において「お姫様」は大まかに3つの役割があります。先ほどあげた試練の対象(敵対)、褒賞、そして支援です。たとえば日本神話において大国主はスセリビメと結婚するためにスセリビメの父・スサノヲに様々な試練を課されますが、そのすべてをスセリビメの支援によって突破しています。
密原は柘榴の援助を得られるだけの試練をクリアした、と考えることも可能そうです。爆笑したので。柘榴に全然その気がなかったとわかり、無様な姿を晒す密原に私は手を叩いて笑ったので。柘榴の奥にいるプレイヤーという“女王様”を笑わせることに密原は成功したが故に、密原は“お姫様”を獲得したのです。プレイヤーの性格が悪い前提の解釈ですが、その辺りを盛り込んでるとも考えられる公式も大概だなということにしたい。
話を戻して、柘榴を得たことで密原は他者に課されたのではない、彼自身が立ち向かうべき試練が浮き彫りになっていきます。弟です。 生まれる直前に他界した弟は、生者たる誠丞と真逆の道を辿ります。現実には存在せず、だからこそ両親の夢の中だけに、理想の存在として「生き」続ける。それを逆手に取るようにして誠丞は「理想の存在」を演じて生きてきましたが、象徴的だったのが明け方まで勉強を重ねた彼の過去でした。昔話において死と眠りは同義です。誠丞は弟のいる穏やかな「死」の世界に逃げるのではなく、コンパスの針のように痛みを伴う「生」の世界にしがみつき、努力に努力を重ねました。
化けの皮が剥がされ本当の自分と向き合ってくれる存在を得たことで、彼は決戦に乗り出します。方法は、弟という存在に固執する橿野柘榴の心を「誰に望まれるでもない自分」が奪うことです。
「弟は! そんなに偉いのかよ!!」
けれどその慟哭も本質ではないことを物語は示しています。なぜ弟に勝たねばならないのか。なぜ、文字通り血のにじむ努力をしたのか。なぜ、生きたのか。それは両親に愛されたい、仕合わせになりたいからでした。
両親は他者の目を通してしか息子を評価できない人でした。顔が良いと褒められれば息子の容貌を誇りに思い、顔以外の何も評価されなければ息子に絶望してしまいます。 両親のこうした「愛情」を受けた誠丞は、両親が唯一重視した他者からの評価――“目”に固執していきます。 密原誠丞の「恋愛依存症」も、本人が言うようにわかりやすく「愛」を……自分自身への承認を読み取れたから。つまり彼が大好きな女の子たちは、あくまで両親の代替物に過ぎなかったと言えるでしょう。
誠丞の飢餓感は、幼少期の経験に端を発しています。それはつらく、なかったことにしたい過去です。実際に彼はきれいさっぱり忘れて今の華々しい人生を謳歌してきました。 ですがそのままではだめなのです。嫌でも、苦しくても、悲しくても、弱者だった過去の自分を取り戻さなくては、彼は自分の本質には辿り着けません。それが叶うか、叶った時にどうするか。それこそが、密原誠丞が乗り越えなくてはならない試練だったのです。
密原誠丞が試練を突破できるかどうかは、援助者たる橿野柘榴とそのプレイヤーにかかってきます。柘榴の側からすれば、彼の「好意」に応えられるか。弟より優先できるか。彼自身を信じることができるか。この3つの試練が課せられているということになります。
信頼関係は日々の積み重ねですが、ターニングポイントはドラマチックに描かれます。 弟に固執する柘榴に激高し、荒々しいキスをする誠丞。この行為は先述の通り、両親からの愛を失う不安感が大元です。弟はその象徴に過ぎず、恋愛関係は代替物でしかない。健全に信頼関係を築けていればそのことを直感的に理解し、表層的な欲を満たす「道具」にされることを拒絶して次のステップへと移行して無事に成人の儀礼を果たしますが、築けていないと示された愛欲に耽溺して受け入れてしまい、本質へとたどり着く道はおろか帰り道をも閉ざし、本質に気づけぬまま弟への嫉妬と憎悪とに苛まれ続けることになる。それが密原編でした。
密原誠丞の物語における禁断の果実はリンゴ。これはわかりやすく、柘榴と共に痛みと苦しみのあふれる現世で汚れて生きたいという彼の願望を表していました。弟に固執する柘榴にアップルパイを突っ込んだのは、「きれいな」弟と共に在り続ける柘榴を自分の傍に引きずりおろすためのものとして機能しています。
モチーフとして色濃い「白雪姫」もリンゴがキーアイテムの物語です。こちらで解釈すれば、柘榴と共に一度死んでキスで再生したい、すなわち二人で大人になりたいという彼の願いが表れていると考えられるでしょう。
密原誠丞のテーマカラーである紫は、多くの文明で王者を表す色でしたが、とある宗教が広まるにつれて貶められていきました。 とても密原らしい色だなと思うのです。彼は自身の社会では王者のように完璧な存在でしたが、異なる世界に組み込まれた時に愚者に転じてしまう。彼が言う通り、彼は唯一、ここ(城)にいるべきじゃない、至って普通の人間なのです。その証拠に、彼の両親はたしかに弟にばかり目を向けてしまいますが、3週間「だけの」不在で真っ当な親らしく彼を心配し、今までの行いを悔い、捜索願を出しています。ならば彼は城で選ばれずとも、城から出られさえすれば、本当に求めていたものを得て現世でのびのびと生きていける、そういう人なのでしょう。